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東ヨーロッパ

2010年1月 6日 (水)

ウクライナ“オレンジ革命”から五年

Niall Green

2009年12月28日

論争の的となったウクライナ大統領選挙の前代未聞の三回目投票で、2004年12月26日、ビクトル・ユシチェンコが勝利した。11月に行われ、彼の敵ビクトル・ヤヌコーヴィチが勝者だと宣言した二回目投票の後、何千人もの抗議デモ参加者がキエフの街路に繰り出し、不正選挙の申し立てが広まった後、ウクライナ最高裁が三回目の投票を命じていた。

5年後、ヤヌコーヴィチとユシチェンコは、またもや、来月の大統領選挙に、対抗して立候補することとなった。非常に不人気のユシチェンコは、1回目の投票で、大敗するものと予想されている。2004年の“オレンジ革命”では、ユシチェンコの盟友だったユリア・ティモシェンコは、以来、現大統領の手ごわい敵となっているが、彼女も1月17日の選挙に立候補している。

2004年、ウクライナ国民は、ウクライナ支配層の権益を代表する候補者達からの選択に直面した。彼らの間には、いかなる政綱の差異を見いだせなかったが、これは過去五年間にわたって確認済みの事実で、ユシチェンコ、ティモシェンコとヤヌコーヴィチは、お互いに、政治的なご都合主義のみに従って、連合を形成しては破棄してきた。その間、ウクライナ労働者の社会的位置は急激に悪化した。

2004年、ユシチェンコの大統領への立候補と、その後の、より親ロシア派の候補者ビクトル・ヤヌコーヴィチの選挙勝利宣言を、ひっくり返そうとする彼の宣伝活動は、アメリカ合州国に支援されていた。ワシントンは、ユシチェンコを、モスクワの戦略的な立場を弱体化させるという、アメリカの企みの上で、使いやすい手先と見ていたのだ。ウクライナは、欧州連合と、ロシア黒海艦隊を擁している、ウクライナの港クリミアのセヴァストポーリへと向かう、ロシアの主要な天然ガス輸出用経路を提供している。

1990年代、ユシチェンコは、ウクライナ中央銀行の頭取の地位で、結果的に旧国有資産の略奪と、とてつもなく裕福で腐敗した新興財閥エリートの発展をもたらした、旧ソ連経済再構築における主要な事業計画立案者として、ワシントンから注目された。

元大統領レオニード・クチマは、1999年、依然としてロシアと密接につながったウクライナ経済を、親アメリカ・西欧という新方向に向ける“改革者”として、ユシチェンコに首相に任命した。クチマは、テクノクラートのユシチェンコなら、ウクライナと、大規模な金融危機で苦しんでいるロシアとの密接な経済的なつながりによってもたらされた、深刻な景気後退の後、西欧資本との関係を改善できるのではと期待した。

首相時代、ユシチェンコと、石炭、天然ガスや冶金産業に関与していた主要な新興財閥連中との間に大きな亀裂が広がった。ユシチェンコは、ウクライナの産業基盤に外国投資を惹きつけるため、より“自由市場”風の経済施策を好んでいた。主としてウクライナ東部を基盤とする彼の政敵は、見切り価格での民営化から、政治的につながった実業家達に至るまでの再検討を含む政府の計画が、自分たちの産業にたいする支配を危うくするのではないかと恐れたのだ。

ここで、ユシチェンコは、西欧の資本だけに支援されていたのではなく、ライバル達を出し抜く好機を見いだしていた、ウクライナ大企業権益派の一部にも支援されていた。ユシチェンコの副首相で、夫とともに、天然ガス輸出産業で富を築いたユリア・ティモシェンコは、非常に儲かる元国営企業の売り出しを巡り、事業上のライバル達との政治闘争を行っていた。

ウクライナ議会、ヴェルホヴナ・ラーダにおける自分たちの権力を利用して、2001年、東部ウクライナ新興財閥連中は、ユシチェンコとティモシェンコに対する不信任投票を実現した。盟友の実業家達とのあからさまな不和を恐れたクチマに素っ気なくされ、ユシチェンコは、自分がこの大統領の政権からは嫌われており、クチマと彼の取り巻き連中によるウクライナ支配を不快に思っている、西欧とウクライナのブルジョアジーの一部には、寵児であることに気がついた。

これを基盤にして、ユシチェンコとティモシェンコは各々自分の政党「わがウクライナ」と「ユリア・ティモシェンコ連合」をたちあげ、2002議会選挙で相対多数を確保した。

2004年、クチマ大統領の二期目の任期が満了した。憲法上の二期任期という制限があるため、彼は再度立候補ができず、次期大統領として、ビクトル・ヤヌコーヴィチを支持した。ヤヌコーヴィチは、クチマや、1997年から、ユシチェンコに代わり、首相に任命される2001年まで地方政府を率いていた、ウクライナのドネツク工業地帯の新興財閥家族と緊密につながっている。

クチマを引き継ぐ、ヤヌコーヴィチ立候補は、ロシアのウラジーミル・プーチン政権によって支援されていた。クレムリンは、クチマが西欧に言い寄り、アメリカが率いるNATO軍事同盟寄りに動いていたという事実を警戒してはいたものの、ユシチェンコよりは、ヤヌコーヴィチの方を好んでおり、ウクライナのNATO加盟を強く指示する。

ウクライナ大統領へのユシチェンコ立候補は、主に、腐敗したクチマ政権への反対を基盤にして、特に若者と、ウクライナ語を話す同国西部の支持を得た。とはいえ、ユシチェンコは、大半がロシア語話者であるウクライナ東部地域での支持は極めて弱く、ヤヌコーヴィチが優勢だった。この地域の何百万人もの労働者は、ロシアと密接な関係がある産業に依存しており、ユシチェンコの“自由市場”処方箋も、ウクライナ愛国主義という選挙アピールも支持しなかった。

ユシチェンコもヤヌコーヴィチも、2004年10月大統領選挙の一回目投票では、40パーセント以下しか得票できなかった。11月21日に行われた二回目の投票でも、西欧マスコミで広範に繰り返された、反対派による、選挙違反という非難の中で、ヤヌコーヴィチが過半数を得た。

11月の投票後、選挙違反があったとする、ユシチェンコの主張を支持する大衆抗議デモがキエフで行われた。主として若者達からなる抗議デモは、クチマ-ヤヌコーヴィチ政府への敵意と、民主的改革者としてのユシチェンコという思い込みを現していた。

ユシチェンコとティモシェンコは、こうした大衆デモを率いたが、2003年に旧ソ連共和国グルジアでミヘイル・サーカシビリを権力の座に押し上げた、アメリカが支援した“バラ革命”にならって“オレンジ革命”と呼ばれた。

キエフにおけるオレンジ・キャンペーンに対するアメリカ帝国主義の支援は明らかだった。親ユシチェンコ派の学生運動ポーラは、グルジアから来た元サアカシュヴィリ派の様々な活動家達によって訓練され、活動家達が配属されていた。『わがウクライナ』の連中も、アメリカ国務省や、様々なアメリカのNGOから支援を受けていた。

アメリカ政府は、忠実なアメリカ・マスコミと共に、11月投票でのヤヌコーヴィチの勝利を認めず、いんちきをされたとするユシチェンコの主張を無批判に支持し、『わがウクライナ』支持者によって行われたとされている、不正投票に対する主張は無視した。

2005年1月の就任後、ユシチェンコは、2004年に彼を支持した多くの若者たちの幻想を打ち砕いた。彼の政権の反動的政治という性格が明らかになるにつれ、彼の人気も急落し、最近の世論調査では、ユシチェンコ支持率はおよそ3パーセント.

ユシチェンコは、クチマ政権と同様に腐敗した政権を大統領として統轄した。汚職、仲間びいきや、僅かな人数の新興財閥連中の富裕化は、衰えずに続いた。ウクライナの政治は、自分たちの権益を増やし、ライバル達に昔の恨みを晴らすのに、国家権力というてこを利用した、スーパーリッチに支配されたままだ。

ユシチェンコが権力を獲得して以来、ウクライナ労働者の経済的・社会的条件は悪化しており、しかもウクライナ経済は、2008年の金融危機と、それに続く世界不況によってひどく打撃を受けている。ウクライナの工業輸出は急激に落ち込み、金融制度も危機状態のままだ。

世界中の他の国々大半と同様、キエフ政府は、救済措置で、金融業者や実業家には、何十億ドルも渡す一方で、大半のウクライナ人の生活水準は、増加する失業、収入の下落、高いインフレによる貯蓄の目減りで打撃を受けている。

ウクライナが辛うじて破産から免れているのは、ひたすら今年早々の国際通貨基金からの160億ドルを越える緊急融資のおかげだ。国際通貨基金とウクライナ支配層は、この金も、危機から生じた他の損失も、公共支出削減と、ウクライナ労働者の賃金と生活水準を更に引き下げることで、取り戻すことになるだろう。

公式な失業率は、およそ9パーセントだが、失業者の本当の数値はずっと高い可能性がある。政府統計は、新聞ジェーロの調査によると、ウクライナ国内総生産の45パーセントにものぼるという、違法な事業、いわゆる“闇経済”で働く、膨大な数の人々を考慮に入れていない。

ソ連崩壊以来、経済を略奪することによって莫大な富や特権を得たウクライナ・ブルジョワジーには、民主的、社会的改良を支持する政治基盤は皆無であり、彼らは労働者階級からは巨大な深淵でへだてられている。キエフ支配層の顔ぶれこそ変われど、労働者の生活水準に対する攻撃を阻んだり、安定した議会による統治を確立しようとしたりするようなことは一切していない。むしろ、五年前の出来事は、アメリカ帝国主義に支援された、新興財閥達の一派による、ロシア支配層から支援されていたライバル達を犠牲にして、権力を握るためのクーデターだった。ウクライナと西欧のマスコミによる、“選挙違反”に関する訴えや、民主的権利に関する呼びかけは、略奪的な狙いを隠す、単なる大義名分であったに過ぎない。

ロシアやヨーロッパの同胞達と同様の、ウクライナ労働者や若者の社会的、民主的な願望の実現は、社会主義と国際主義的な観点に立った、労働者階級による政治的に独立した運動を通してしか、達成することはできないのだ。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2009/dec2009/ukra-d28.shtml

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上記文中の「来月の大統領選挙」は、翻訳による時差で「今月の大統領選挙」。

「グアム全面移転は不可能」「海兵隊は必要だ」という予想通りの発言が続いている。

そこで上記文章の末尾を以下のように改竄してみた。

東京では支配層の顔ぶれこそ変われど、労働者の生活水準に対する攻撃を阻んだり、安定した議会による統治を確立しようとしたりするようなことは一切していない。むしろ、一年前の選挙は、アメリカ帝国主義に支援された、財閥・政治家達の一派による、かつてアメリカ支配層から支援されていた、ライバル達を犠牲にして、自分たちが権力を握るための茶番だったのだ。マスコミによる、“基地問題”に関する訴えや、地方分権に関する呼びかけは、略奪的な狙いを隠す、単なる大義名分であったに過ぎない。

森田実氏、ブログ記事で「2010年夏に行われる第22回参議院議員選挙で民主党が過半数を得る可能性は低いと予測している。」とかかれている。(森田実の言わねばならぬ【6】2010.1.4(その3))。この予測が的中することを祈るしかなさそうだ。元日、行列が長すぎて、あきらめた氏神様に、早速お参りしなければなるまい。

しかし、皆様がお参りし、お願いした場合、神様・仏様、最終的に一体誰の肩を持つのだろう?

やはり、ここはグローバル経済、新自由主義・市場経済原理にのっとって、お賽銭・寄付が多いほうを支持するのだろうか?

神様・仏様が、大々的に、派遣村活動や、焚き出しや、仮住まい提供をしておられるという話、素人には、あまり聞こえてこない。焚き出しや仮住まい提供をしておられる教会はあるようだが。

立派な神社の立派な賽銭箱をみるにつけ、初詣の膨大なお賽銭、日本の神様・仏様関係者だけでなく、困窮する人間様にも流用できないものだろうか?と思えてくる。

事業見直し、貧乏人からだけでなく「神様・仏様からも税金をいただく」という革命的な策もあって良いのではなかろうか?そうでなければ、貧乏人の小生、「神も仏もあるものか」と、罰当たりな無信心で生きるしかなくなる。

記事をアップする前に、たまたま東京新聞webで、下記記事を読んだ。

12日に日米パネル討論 「同盟深化」の道筋探る

世界最大のテロ国家との付き合い、「深化」だけが選択肢なのだろうか?

不信感を募らせているのは、アメリカ支配層だけでなかろう。どこの国の庶民もそうだろう。

安保条約50年。宗主国と喧嘩をしたいというのではない。戦後64年、属国でありつづけるのではなく、いい加減に「独立したい」という、当たり前の発想。与党・最大野党や公明党の政治家の皆様は、なぜそうした発想をしないのだろう?属国の買弁、それほど居心地がいいのだろうか?

たとえば、松下政経塾卒業生の皆様におかれては、「最大市場をむげにできない」のはわかる。とはいえ、これだけ貧乏人をいじめる政治家を多数輩出排出している企業には貢献したくないものだ。何度も書くが、他に選択肢がある製品、あの会社の製品は買わないことにしている。電球が切れたので、別の会社のLED電球を購入した。

もう一度、われに帰って考えてみた。

「2010年夏に民主党が敗北した時、自民党の出番がくる。」と、森田氏は書いておられる。小泉売国政治を、しっかり清算していない自民党が、そのまま復権するのであれば、宗主国アメリカにおける魔の「二大政党」が、属国日本で、見事に完成しただけのこと、ではないか、と素人は思うものだ。

そうなると、神様・仏様に祈るのは、「今度生まれる機会があれば、是非とも、宗主国なり、属国なりのスーパーリッチ支配階級に生まれ変わりたい。」とした方がよさそうだ。

その場合、わずか5円で、願いがかなうか否かは、死んでみないとわからない。残念ながら皆様へのご報告はできないが、あしからず。

2009年12月25日 (金)

ルーマニア: チャウシェスク打倒から20年

Diana Toma and Markus Salzmann

2009年12月24日

1989年12月25日、ルーマニアの独裁者ニコラエ・チャウシェスクと彼の妻エレナは、短時間の見せしめ裁判後、即座に処刑された。処刑は、第二次世界大戦後に形成された、最後の東欧スターリン主義政権の一つの崩壊をもたらした。

1989年のチャウシェスク政権終焉の前に、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリーやドイツ民主共和国(東ドイツ)政府が崩壊していた。しかし、これらの国々における出来事は、往々にして、偽って、本当の民衆革命として描かれることがあるが、ルーマニアについては、そうした表現は不可能だ。当時、過激な変革の最も熱心な擁護者達ですら、スターリン主義の崩壊にはクーデター的な要素もあったことを認めざるを得ないのだ。

ルーマニアでは、東欧で20年前に起きた、変容の性格は、ほかのどの国よりも、遥かにわかりやすい。スターリン主義のエリート達が、国民の抗議につけこんで、新たな資本主義の基盤上に、権力と特権を確保したのだ。チャウシェスクは、自らの支配機関から解職されたが、そのメンバー達が、今日まで、ルーマニアの権力と富を支配しており、国民は惨めな暮らしを送っている。

チャウシェスクが1965年に、ルーマニア共産党(PCR=ルーマニア語略称)の指導者の地位に就いた際、彼は“改革者”と見なされており、西側としては望ましいパートナーだった。彼は国家の独立を強調し、モスクワからは距離を置いた。1969年8月、アメリカ大統領リチャード・ニクソンが、ルーマニアを訪問し、翌年、チャウシェスクはアメリカ合州国にでかけた。彼は生活水準を向上させた工業化のおかげで、ルーマニア国内でも一定の人気を享受した。

以後数十年間、状況が悪化するにつれ、チャウシェスクは中国の毛沢東主義者に似たやり方で異様な個人崇拝を推し進め、悪名高い秘密警察セクリタテアに、益々支配を依存するようになった。最終的に1980年代末期の経済的衰退が、彼の政権終焉の前触れだった。

およそ110億ドルにものぼる国際通貨基金(IMF)や世界銀行への未払い債務を返済するため、支配政党のPCRは、国民から情け容赦なく搾り取った。食料は乏しく、パンですらも配給切符無しでは入手できなかった。賃金は、削減されるか、全く支払われなくなった。医療と教育制度が崩壊した。産業と農業への投資不足により、この地域での、生産性が、10年間以上にわたり、30パーセント以上低下した。

体制側は、この政策に対する、労働者達による抗議を、残忍、過酷に弾圧した。セクリタテアは圧倒的な力を持っていた。何百人もが逮捕、拉致、拷問され、殺害された。

1989年12月16日、当局が反体制派の牧師ラースロ・テケシュをティミショアラから追放しようとしたところ、抗議デモが急速に拡大し、警察と衝突するに至った。翌日、チャウシェスクの命令で、警察、軍隊と諜報機関が、群衆を射撃した。数百人のデモ参加者が殺害された。

抗議は更に、首都ブカレストを含む、いくつかの都市に広がった。こうした出来事を目撃していた人々の多くが、セクリタテアを含む、統治機関の一部が、意図的に、抗議デモをあおっていたと考えている。

12月21日、チャウシェスクは、ブカレストの集会で演説した。当初の友好的な雰囲気は、まもなく変わり、彼に敵対的になった。翌日、彼と妻は益々拡大する大衆デモに直面し、ヘリコプターで北部のトゥルゴヴィシュテへと旅立ったが、二人は軍に逮捕された。

一方、党、軍と諜報機関にいたチャウシェスクの腹心たちは新指導部を形成した。その目的で、自らを“革命派”と称した彼らは、救国戦線評議会(NSF)を作り出した。大衆抗議行動が続く中、チャウシェスクに忠実な護衛官や軍隊の一部の間で戦闘がおき、彼らは旧体制の名目上の指導者を粛清することを決定した。

チャウシェスクと妻は、にわかに開かれた軍事法廷に引きだされ、死刑を宣告され、カメラの前で射殺された。その画像は世界中に放送された。

1980年代まで、チャウシェスク側近取り巻きグループ・メンバーだったイオン・イリエスクが、彼の後をついだ。大変な政治的混乱の中、イリエスクとNSFは、1990年議会選挙に勝利し、更に二年後、大統領選挙に勝利した。チャウシェスク閥の多くの有力な政治家が、新政府閣僚の座を占めていた。チャウシェスクの弟子イリエスクの下、NSFが国家のあらゆる重要な地位を占有した。

古い権力構造に対する、国民の反感に依拠し、連中は公営企業の解体を開始した。1989年12月22日から28日の間に、テロ攻撃の嫌疑で、軍隊によって逮捕された600人以上が、1990年早々に釈放された。デモ参加者への砲撃を命じた軍、セクリタテアや民兵の幹部の多くは野放しで、出世した連中さえいる。

イリエスクが、最初の国営企業を民営化し、劇的な緊縮政策を断行した際、彼は激しい抵抗に直面した。失業と低賃金に対するストライキやデモが繰り返された。300パーセント以上のインフレ率のおかげで、ルーマニア人は、自活する手段を奪われてしまった。1993年、政府は商品やサービスに対する補助金を削減し、それが大規模なストライキ運動をひき起こした。1994年、200万人の労働者がゼネストに参加した。

変化の結果に対する国民の怒りと失望に、右派ブルジョア政党がつけこんだ。1996年、キリスト教民主党、社会民主党と、国民自由党の野党連立が、エミル・コンスタンティネスクの下で、政府を引き継いだ。コンスタンティネスクが、国営企業の民営化を加速させ、社会福祉を厳しく攻撃する、IMFのあらゆる要求を施行することを目的としたため、西欧マスコミは、これを“本当のチェンジ”だともてはやした。

同時に、チャウシェスクの元宮廷詩人であった、極右の大立て者ヴァジム・トゥードルが、政治的影響力を獲得した。彼が設立を支援した大ルーマニア党は、主として元セクリタテアの悪党どもを採用している。

かつてのスターリン主義者たちの多くは、現在セクリタテアの後継機関SRI(情報庁)に跋扈し、あるいは、成功した起業家としての経歴を誇っている。資本主義市場経済が、彼らに理想的な出世の機会を提供してくれたのだ。同窓グループのつながりは規則正しく機能し、元セクリタテアの連中は、あらゆる国家機関、政党、マスコミで活躍している。

こうしたプロセスの一例が、ラドゥ・ティヌだ。1985年から1989年まで、彼はティミシュ県のセクリタテアで局長代理をしており、とりわけ、彼は当時ルーマニアに住んでいた、今年のノーベル賞受賞者ヘルタ・ミュラーへの迫害を組織した人物だ。チャウシェスク没落後、短期間勾留されてから、彼はウィーン・インシュランス・グループの支配人となった。

こうした右翼の大立て者達は、常に民族的、人種的緊張をかきたてようと狙ってきた。1990年3月、ネオ-ファシスト勢力が、元セクリタテア将校達と共に、トレグ・ムルシュで、そうした緊張に油を注いだ。この都市の住民はルーマニア人とハンガリー人が半々だった。両陣営間の暴力的衝突が何件も起きた。ルーマニアは民族的内戦の瀬戸際となった。

過激な国家主義が、ルーマニアのスターリン主義政党の後継組織中に、蔓延したのは驚くべきことではない。ロシア革命の影響の元、1921年に創設されたPCRは、1920年代後半、スターリンとソ連官僚機構の支配を受けるようになった。第二次世界大戦中、PCRは、ファシスト独裁者のイオン・アントネスクと戦うため、国民自由党(PNL)や全国農民党(PNT)等の右派ブルジョア勢力と協力した。

アントネスクを打倒した後、1945年3月、ペトル・グローザの下で独立政府が樹立されたが、PCRはこれを容認した。1946年、PCRとグローザの全国的な保守派の“耕民戦線”は、選挙において共に選挙活動をした。モスクワの庇護のもと、PCRは党書記長ゲオルグ・ゲオルギウ・デジを首班として国家権力を掌握した。デジは、真正のスターリン主義者であった。政敵達は情け容赦なく投獄され、拷問された。

チャウシェスクは、ゲオルギウ・デジの庇護を受け、出世を始めた。スターリンが1953年に死亡した後、また1965年にチャウシェスクが権力を握って以来、ルーマニア政治は、一層、民族主義、反ユダヤ主義の色合いを帯びた。国民を分裂させるため、少数派は意図的に差別された。親政府派新聞によって、ホロコースト否認があからさまに広められた。

ルーマニアにおけるチャウシェスク没落後、右翼とポスト-スターリン主義の“社会主義”政府と国家首脳が、代わって地位についた。しかし政策は基本的に同じままだ。欧州連合加盟の為の基準を満たすため、厳しい金融引き締め政策が遂行された。最後の国有企業も民営化された。

今日、“自由な20年間”という標語の下、長引く経済危機の状況下で祝典がとり行われる。繁栄とデモクラシーという約束の何も実現されてはいない。政治家全員が、危機や、大規模な社会福祉攻撃の重荷を一般大衆に押しつけることに合意しているのだ。

ルーマニアの選挙は、最近の大統領選挙で見られたように、民主的とはほど遠い。政治エリート内部では、権力、影響力と財源を求める熾烈な戦いが荒れ狂っている。

20周年の公式式典と演説は、国民の気分とは、著しい対照をなしている。ストライキやデモは、ここ数ヶ月の間に急増している。人々は、不安定な生活条件を、もはや甘んじて受け入れようとしてはいない。

最近の世論調査によると、現在、回答者の三人に一人は、1989年の出来事は誤りだったと考えている。60パーセントのルーマニア人が、現在の政治家達のほうが、ニコラエ・チャウシェスク時代よりも腐敗していると考えており、ほぼ同数の人々(56パーセント)が、現在の政治体制よりも、“共産主義”政権の方が、大衆を尊重していたと考えている。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2009/dec2009/roma-d24.shtml

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一方、この国では、

小泉政治を是とした、自民党は支配の座から降ろされたが、元々自民党議員だったメンバー達が、今日まで、日本の権力と富を支配しており、国民は惨めな暮らしを送っている。与党政治家の大半が、危機や、大規模な社会福祉攻撃の重荷を一般大衆に押しつけることに合意していて、マスコミは、これを“本当のチェンジ”だともてはやしている。しかも、ストライキやデモは決しておきず、人々は不安定な生活条件を、いつまでも甘んじて受け入れようと決意している。日本は、既に万能の小沢主席が采配を振るう安定した独裁国家である。

ような気がするのは、親から12億円もらえない貧乏人の僻みだ。

マスコミについては、アプトン・シンクレアが90年程前に書いた本、ブラス・チェック『The Brass Check=邦題"真鍮の貞操切符"』の一節、クリスマスの手紙 「百万長者対貧乏作家」を参照頂ければ幸いだ。

今日の小沢政権の行方を書いた朝日新聞朝刊の政治欄記事、独裁が確立することを予見するような、かなり薄気味悪い記事だった。残念なことに、こういう観測こそ実現するだろう。参院選挙で、民主党が大敗しない限り。

2009年10月26日 (月)

資本主義復帰から20年後:東欧の生活水準、急降下中

Stefan Steinberg

2009年10月24日

今月早々イスタンブールにおける会議の過程で、世界銀行は、グローバルな経済・金融危機を受けて、旧ソ連と東欧で生じた、生活水準の大幅な低下を示す報告書を刊行した。

「グローバル危機、新興ヨーロッパと中央アジアを痛打」と題した報告書は、この地域全体における“失業と貧困の急増”について語っている。

ヨーロッパ・中央アジア担当世界銀行副総裁Philippe Le Houerouは、イスタンブールでの記者会見で、こう語った。「金融危機として始まったものが、社会的、人的危機と化している。食糧および、石油危機のすぐ後に続いて、グローバル危機が起きたが、先行した危機が、購買力を引き下げることで、既にこの地域の人々を弱体化させていた。今日、貧困と失業の増大が、家計を貧困へと押しやっており、既に貧しい人々にとって、事態を一層困難にしている。」

報告書は「グローバル金融・経済危機は、新興ヨーロッパと中央アジアの多くの部分を、まさに痛打した」と書いており、2009年、この地域の経済成長において、5.6パーセントの減少を予測している。

世界銀行は、地域における失業が、2008年の830万人から、2009年の1140万人へと急増したと計算している。失業はバルト諸国で倍増し、トルコでは60パーセント、地域の他の諸国ではその三分の一増加した。

世界銀行のヨーロッパ・中央アジア地域担当チーフ・エコノミスト、インダーミット・ギルは、こう言明した。「2009年、貧困層人数を、1500万人減らすのではなく、貧困層が、およそ1500万人増加すると、我々は予想しています。」ギルは、地域には既に、1億4500万人の貧者、総人口のおよそ三分の一が存在していることを認めた。彼はこう語った。「彼等にとって、金融危機は、既に厳しい生活を一層厳しくしてしまいました。世界の大半では、今秋、良い経済ニュースを聞いています。しかし、新興ヨーロッパや中央アジアの労働者やその家族にとって、ニュースは明るいものではありません。」

この地域全域にわたる貧困の程度を指摘しながら、世界銀行の報告と在イスタンブール代表団は、この社会的窮状を存続させる上での、この機関自らの役割については沈黙している。

そうではなく、そもそも、世界銀行が、東欧の労働者の益更なる貧困化を招いた、まさに更なる諸政策を唱道しているのだ。この地域にとっての最優先は、Le Houerouによると、“金融部門を整理し”….. “民間資本の流入を呼び込む為に、事業環境を改善し”、“公共投資をより効率的に”することなのだという。

ギルは、銀行に対して行った膨大な緊急救済措置により、この地域の政府赤字は、2008年のGDPの1.5パーセントから、2009年の5.5パーセントへと増大するだろうとしている。ギルは、更に社会的支出が政府支出の半分以上を占めていると指摘し、政府とっての本題は「教育、医療および社会保障を、より効率的にする必要性」結論づけている。これはつまり、既にしてお粗末な福祉制度の更なる大幅な削減だ。ギルは、「必要な“改革”は、政府を財政的に健全に、経済を強固に、そして社会をより公正にするのに役立とう。あらゆる責任のある政策立案者は、これらの改革を厳しく検討すべきだ。」と結論している

世界銀行の提案は、“より公正な”社会を作り出すのではなく、東欧と中央アジアにおける社会的不平等と、それに伴う貧困の膨大な増加を促進することにしか役立つまい。2008年金融危機の波紋について焦点を当てながら、世界銀行報告書は、この地域の住民の三分の一が、貧しい生活を送っていることを認めている。これは、ソ連と東欧への資本主義再導入から20年後の、自由市場制度に対する、辛辣な非難だ。

ソ連とそのスターリン主義衛星諸国の崩壊後、世界銀行は、一連の他の国際金融機関(IFI)や欧州連合と共に、出来るだけ短期間の間に、東欧諸国とロシアに対し、資本主義の自由市場環境を押しつけるべく計画された“ショック療法”を押しつけるのに尽力した。同時に、続く“経済自由化のビッグ・バン”は、先進資本主義国の銀行が、利益を最大化するため、益々、最もリスクの高い、投機的な投資に向かっている時期に起こったのだ。

ウオール街の相場師の活動と、国際ヘッジ・ファンドの二桁、あるいは三桁の利益率が、旧スターリン主義諸国に導入された自由市場資本主義の模範となった。世界銀行、国際通貨基金とEUの命を受け、これら諸国において長らく続いてきた福祉政策は、最少のコストで、最小限の社会福祉しか提供しない“セフティー・ネット”制度を容認した上で、一夜にして一掃された。

欧州連合このプロセスにおける役割について触れて、ソフィアにある、Centre for Liberal Strategiesの代表イワン・クラステフは2004年にこう述べていた。「国境を越えて、経済発展を推進するプロジェクトをEUが支援する際に、EUが自国内では非難しているのと全く同種の新自由主義学説の別種を輸出しているのを見るのは実に印象的だ。」

この政策の結果は、地域全体における、かってないほどの社会的不平等と貧困だ。現在、西欧マスコミは、資本主義制度の導入を無批判に美化する膨大な情報を報じてはいても、これらの国々に広がっている社会条件については、ごく僅かな情報しか提供していない。自由市場経済の利点だとされているものを巡る、あらゆる陶酔を消散させるには、過去数年間に作成された、幾つかの資料を、概観するだけで十分だ。

2008年の金融危機の数年前に刊行された研究の中で、ロシア人研究者オルガ・キスリーツィナは、移行経済における、所得の階層化という点では、ロシアは圧倒的にトップだと既に注目していた。「ロシア国民のうち、最も貧しい10パーセントは、総収入金額の2パーセント以下しか占めておらず、一方最も豊かな10パーセントは、約40パーセントを占めている」と彼女は書いている。報告書はこう書いている。「所得不平等という観点からすれば、ロシア経済は中南米モデルにずっと近く」ロシアは、社会的不平等という点では、ブラジル、チリやメキシコにぴったり続いている。

ロシアにおける社会的不平等の発展で異例なのは、それが起きた速度だと、キスリーツィナは注目している。生活水準が、スターリン主義官僚機構の悲惨な政策のおかげで、全般的に低いものとは言え、それでも、比較的、平等主義的だった社会は、20年もたたない間に、地球上で、最も不平等な社会の一つへと変貌した。

金融危機を受け、ロシア人億万長者は、ひどい損害を被ったものの、2009年世界リスト上の793人の億万長者中、ロシアは未だに32人を占めているとフォーブズ誌は報じている。2008年にフォーブズ誌が報じていた、87人の億万長者が保有していた4714億ドルと比較すると、これら32人のロシア人は1021億ドルという富を得ている。

資本主義経済制度の再導入は、特に大都市部で、ごくわずかな中産階級層も生み出しはした。大都市で、貧困、失業と過少雇用が、一般的ではあるが、より辺鄙な地域や地方における生活条件は、一般に、壊滅的と見なされている。

近年における経済成長復活にもかかわらず、現在のロシアの経済的実績は、依然として、資本主義自由市場導入以前の1989年の、わずか四分の三程度でしかない。他の旧ソ連衛星諸国におけるGDPの落ち込みは、遥かに劇的だ。2008年、グローバル危機の開始の前に、グルジアとモルドバの経済は、1989年に生産していたものの、およそ40パーセントへと縮小した。

同時に、ロシアにおける所得不平等の増大は、莫大な社会的費用の上で起きている。ブリティッシュ・メディカル・ジャーナルによると、1991年のソ連崩壊は、ロシアにおける死亡率の大幅な増大をもたらしたが、最大の増加は、アルコールによる死で、それに続くのが、事故と暴力行為による死だ。

2004年の著書The Status Syndrome中の、疫学者マイケル・マーモットの調査によると、1990年代の資本主義の復活は、およそ400万人の死亡者を生み出した。

資本主義の再導入以前は、つまり1984年から1987年までの間、ロシアの平均寿命は、男性で、61.7から64.9歳に、女性では、73.0から、74.3歳に伸びた。しかし、1987年から1994年までの間に、ロシア人男性の平均寿命は、わずか57.6歳に、女性のそれは、71歳へと低下した。

1970年代初期、いわゆる共産主義の“停滞”時期には、ソ連と西欧先進資本主義諸国との平均寿命の差は、2.5歳だった。2000年代中期、この差は、ほぼ15年に拡大した(UNDP 報告書2007)。

上記報告書の著者は、こう結論している。「ロシアに関して報じられている、死亡率と平均寿命の変動の大きさと急激さは、平時として、史上類がないものである ...」

こうした数値の全てが、自由市場経済への自由化後に、旧スターリン主義ブロック諸国で起きた、福祉給付や社会標準の大崩壊の記録だ。この過程での、旧スターリン主義官僚機構の役割にも、注意を向ける必要がある。彼等は、実際に起きた大規模な社会的衰退を促進する上で、主要な役割を演じたのだ。

ミハイル・ゴルバチョフが率いたソ連官僚機構が、資本主義を再導入するための政治的条件を生み出したというだけでなく、ソ連および東欧諸国共産党主要指導者達の多くが、資本主義企業、銀行、政府のトップに自ら変身し、IMFと世界銀行が処方したショック療法の導入に、直接的な役割を担ったのだ。

ロシアは、社会的不平等の激増と、それに対応する貧困の増大を経験してはいるが、他の東欧諸国における状況は、はるかにひどい。これはルーマニアの現状を垣間見るだけで明らかだ。

ヨーロッパの機関Eurequalのある調査によると、「ルーマニアは、ヨーロッパにおける最貧国の一つで、人間開発指数の点で、最も評価が低い国の一つだ。ポスト共産主義も、EU加盟も、その順位を変えはしなかった。」報告書は更にこのように書いている。「ポスト共産主義(つまり資本主義)は、収入の分配のみならず、窮境の発生という、社会的不平等の増大をもたらした為、貧困は極めて重要な問題と見なされている。」

全国紙を、ちょっと読むだけで、基本サービス崩壊の現実や、ルーマニアにおける“貧困の問題”という婉曲的な表現の背後にあるものが明らかになる。

不満な冬という見出しの下、ルーマニアの新聞アデバルルの編集者は、最新の記事でこう書いている。「TVをつけてみよう。災難だ! トランシルバニア、ブラショフの小学校の映像だ。雪合戦の服装をした子供たちが、暖房用資金が枯渇した学校で震えている。しかも誰も気にしているようには見えない! ジャーナリストが温度計を確認すると、教室は12°Cだった。次に、弁当箱を詰めているある母親が映る。この子にサンドイッチはないが、母親は鎮痛薬ニューロフェンを、子供に与えることには気をつかっている(最近の研究によると、8-9歳年齢層のルーマニア学童の大半が疲れ切って、うつ状態だ。)

「二番目のニュースは、同じくトランシルバニアのズラトナ病院だ。昨年以来、放熱器に生命の兆しは皆無だ。放熱器に触ってみよう。放熱器は霊安室の死体のように冷たい。ある患者は、何枚もの毛布の下で、胎児の様な格好で丸く縮こまり、辛うじて生きている。病室の温度は、屋外より、わずかに二、三度高いだけにすぎない。衣類を何枚も着込んで、ミシュランマンそっくりな女性は、ある病気で入院したのに、違う病気をもったまま退院するのだとこぼした...」

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2009/oct2009/east-o24.shtml

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マスコミは、オバマ大統領のプラハ演説を詳しく伝えても、こうした実情、全く伝えない。各社の特派員、日本から時折遊山にでかける幹部や政治家の接待要員ではあるまいに。

郵政破壊政策の見直しに反対する竹中元大臣のコメントを流したり、記事を大々的に掲載したりはするが、森田実氏や植草元教授の意見はもちろん伝えない。

プラハと言えば、「八ッ場ダムのムダ」論議には元気なマスコミも、チェコ・ポーランドのミサイル配備・レーダー基地問題や、米日共同開発しているというMDの「無駄について」はほとんど触れない。建設予定の空母についても。これこそ無駄の極致だろうに。

その一方で、女性タレントのクスリ裁判はこぞって報道する。ムダ報道の極致。ああした取材合戦や、報道合戦なかりせば、多少とも、地球温暖化のペースは押さえられよう。

北朝鮮の翼賛テレビ・新聞を、本質的に馬鹿にできる立場に我々があるとは思えない。

もちろん日本には、「政府」を批判する自由は無制限にある。

ただそれは、「北朝鮮」政府批判であり、日本政府批判や、まして宗主国政府批判は意味しない。

「アメリカ元大統領を始球式に招待する」というのは本当なのだろうか。

カナダでは、カナダ国内演説行脚に出た彼を迎えるデモで、死に神を担いだりするデモ参加者までいる。イラク人記者にならって「古靴を持ち寄ろう」という呼びかけもあるという。該当英文記事

野球と言えば、安倍元首相の祖父岸信介首相が、安保反対デモが高まる中、言ったと伝えられている言葉がある。

「国会周辺をとりまくデモの参加者などは、国民のごく一部にすぎず、声なき声は私を支持している、そういう人びとは、国会ではなく、後楽園球場で野球を見ている」

ちなみに、ブッシュ始球式を、テレビで見る声なき声に、小生の声は含まれない。

他意はない。恥ずかしながら、野球なるもの、子供時代から楽しめず、難しすぎて全く理解できず、ラジオも、テレビも、新聞も、見たことも、読んだこともないというだけのこと。

「運動神経なき声」というのかも知れない。

しかし、オリンピックといい、ゴルフといい、野球といい、テレビ、新聞、雑誌報道、地球温暖化に相当の貢献をしているように思うのは、「運動神経なき声」ゆえだろう。

2009年8月 1日 (土)

カラー革命: ブルガリア対ウクライナ: まばたいてはいけない!

Eric Walberg

2009年7月21日

オバマの、ロシアの裏庭における地政学的措置は、好調に前進している... まず、ブルガリアで選挙が行われ、7月5日、新政党が権力を握った。ボイコ・ボリソフの「ヨーロッパ発展のためのブルガリア市民」だ。親しみをこめてバットマンとも呼ばれているが、ボリソフは、共産党時代の内務省職員で、後に繁盛する民間警備会社を設立し、2005年以来、ソフィア市長をつとめていた。いつもの、汚職と戦い、より良い経済的未来を確保するという選挙キャンペーンを彼はおこなった。バットマンは、デア・シュピーゲルとのインタビューで、CIAとFBIから、恐らくは、闇の勢力との戦いに対してであろう"称賛の手紙"をもらったと自慢していた。首相として、彼が最初に行ったことの一つは、しかしながら、モスクワとの間の既存のエネルギー契約、つまりサウス・ストリーム・パイプラインと、原子力発電所プロジェクトとの両方の保留だ。

この"デモクラシー"の勝利は、至る所に"アメリカ製"と書きつけられている。2007年、モスクワは、二本の代替パイプライン計画を決定した。ウクライナとポーランドを迂回する、バルト海海底から、ドイツへのノース・ストリームと、黒海海底、ブルガリア、そして、ヨーロッパへのサウス・ストリームだ。ソフィア政府は、EUとNATOのメンバーであるにもかかわらず、2008年に、モスクワとエネルギー協定に調印した。この件と、2009年1月のウクライナとロシア間のガス危機により、ブルガリアに体制変換が、不可欠のものとなり、アメリカ政府が資金援助をしている全米民主主義基金によるサービスが、(彼等は、1990年のブルガリア政府転覆を支援した)明らかに、非常に有効に活用されたわけだ。買収による票集めで損なわれた(NEDにもかかわらず、あるいは、そのおかげで?)選挙からわずか一週間後、ブルガリア新首相はロシアとの契約を破棄した。

ボリソフは、一週間後アンカラに出張し、EUナブッコ・パイプラインに調印した。アメリカのユーラシア・エネルギー特使、民主党のリチャード・モーニングスターと、共和党上院議員リチャード・ルーガー(超党派であることに留意)が、アンカラで、7月13日の調印式に彼と合流した。全て計画通りに進めば、カスピ海地域と中東から、中・西欧の市場へと、ガスを輸送するナブッコ計画は、サウス・ストリームのお株を奪うことになる。アゼルバイジャン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、イランとイラクを供給国候補だ。ルーガー上院議員は、真顔でこう言った。トルコで調印されたナブッコ協定は、政治的な目的による、エネルギー供給の操作には、パートナー政府は黙従などしないという、世界の他の国々に対する合図だ。これはまた、平和的な協力のための新たな手段を構築する可能性をも秘めている。」オバマは、そうしたつまらない話を、7月7日の「モスクワ演説」で更に蒸し返した。「2009年、大国は他国を支配したり、悪魔化したりして、力を示すことはない。帝国が主権国家をチェス盤上の駒のように扱える時代は終わった。」

とはいえ、ナブッコがそのパイプラインに必要としているのと同じガス田である、シャーデニス・ガス田のガス取引について、6月にロシアのガスプロムとも仮調印している、アゼルバイジャンは、ナブッコを実現可能なものにするだけの十分なガスを提供するには問題があるかも知れない。アゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領は、ロシアと西欧間の競争の板挟みとなって、結局、誰が最高の価格を支払うか?ということになりうる。たとえ、ナブッコが、アゼルバイジャンのガスを、ガスプロムと既に合意した価格で買うという取引をまとめたにせよ、F ウイリアム・エングダールによると、十分行き渡るほどにはないのだという。そして他の全ての供給者候補にも問題はある。

ルーガー上院議員は、上院で、またもや真顔で言った。「理想的には、天然ガス、また、やがては石油供給も、この種の資源を、統一イラクが輸出してくれる可能性がある。そうなれば、イラクの歴史における極めて悲劇的な時期に対し、奇跡的な出来事であり、素晴らしい結末となるだろう。」もちろん、もしイラクがアメリカの属国状態を黙諾すればだが。たとえそうであっても、トルコに向かうイラクのガスは、トルコと現イラク政府に対する分離主義の温床である、クルド地域を経由する。もう一つの主要ガス供給源はイランだろう。

オバマが大げさに売り込んでも、彼の顧問たちは、実際はチェイニーとブッシュ達と同じ地政学的ゲームを演じているのだ。これは、アメリカという、いわゆる教化をする国と、それ以外の、教化されるべき国々との間の"文明"の衝突だ。しかし、イランとロシアは、オバマ演説を借用すれば、他の国々ほどには、容易には「支配するか、悪魔化する」ことができない。この国とワシントンとの動力学を変えるには、イラン侵略が必要だろう。また、ワシントンから流れてくる熱風は、ミサイル基地と、ウクライナとグルジアを飲み込むというNATOの誓約によって生み出された、ロシア人の疑惑の雲を消散させることはあるまい。

後者二カ国の"文明"の程度は、今のところ「明らか」とはほど遠い。グルジアの野党は、昨年夏に、悲惨な対ロシア戦争を彼がしかけて以来、グルジア大統領ミヘイル・サアカシュヴィリの辞職要求を継続している。現在混乱にあるグルジアを、ナブッコ・パイプライン計画における主要なリンクとして依存するのは、かなりのギャンブルだ。

ウクライナの世論調査では、非常に重要なことが明らかになっている。「もしも我々が、夢想して、ロシア首相ウラジーミル・プーチンが、ウクライナ大統領の職に出馬すると仮定したらどうか、についての世論調査結果によると、彼は即座に勝利するだろう」と、キエフの世論調査会社リサーチ & ブランディング(R&B)のアナリスト、アレクセイ・リャシェンコは言う。「本格的な競争相手になるのは、ロシア大統領ドミトリー・メドベージェフしかいません。」リャシェンコによれば、これは目新しいことではないと言う。プーチンの人気は、2004年の "オレンジ革命"の間ですら、50パーセントを超えていた。5月に公開された、世論調査結果は、ウクライナ人の58パーセントが、プーチンに好意的で、56パーセントが、メドベージェフを良いとしていることを示している。親ロシア派の野党、地域党のヴィクトル・ヤヌコヴィッチ党首は、現在30パーセントの支持率を享受しており、首相ユリア・ティモシェンコは、15パーセントだ。2010年1月の大統領選挙では、5パーセントを上回る程度、ごく少数のウクライナ人が、反ロシアの大統領ヴィクトル・ユシチェンコに投票するだろう。キエフ国際社会学研究所(KIIS)理事長のワレリー・フメルコによると、「メドベージェフとプーチンが、それほど高い評価を受ける主な理由は、ウクライナ政治における、果てしない紛争と意趣返し合戦ゆえに、ロシアの政治家が良く見えているためだ。」「ウクライナ人が、ロシアの国営テレビが好きなことと、危機の時代における強い指導力への期待も、これに貢献している」とR&Bのリャシェンコは語っている。

KIISの世論調査では、25パーセントが、ロシアとの完全統合を、68パーセントが、ロシアと、EU型の国境解放式の形態方式、つまり、ロシアもウクライナも、ビザや税関なしの"独立はしているが、友好的な国家"を望んでいる。世論調査は、半数以上のウクライナ人が、NATO加盟に反対していることを一貫して示しており、いずれにせよ、そのための国民投票は必要だ。「ウクライナ国民の90パーセント以上が、ロシアに対して、好意的な態度を示しており、昨年それは更に好転している」とKIIS理事長ワレリー・フメルコと述べた。ウクライナ人は、ユシチェンコの友人サアカシュヴィリのことも良く思ってはいない。リャシェンコによると、45パーセントが、サアカシュヴィリに対して否定的な考えで、好意的なものはわずか11パーセントしかない。

ジョー・バイデン副大統領が、今週グルジアとウクライナを訪問し、ワシントンは、公式的には、依然としてウクライナ、グルジア両国のNATO加盟を支持している。「ロシアとの関係をやり直すという、わが国の努力は、どこか他の国を犠牲にして行うものではない」と、バイデンの国家安全保障顧問トニー・ブリンケンは述べた。「我々の願いは、これらの指導者達が、革命の約束を果たし、協力して働くという困難な選択をしてくれることだ」ブリンケンは、ウクライナのオレンジ革命にふれ、そう語った。オバマ政権は、ウクライナ国民同様と、申しあげておきたいが、キエフの"政治的麻痺"を懸念している、と彼は語った。NATOについて、同盟に加盟したいかどうかを決めるのは、ウクライナとグルジア次第だと述べた。アフガニスタンへの軍隊と武器の通過に対する、アメリカのロシアへの依存と、ブリンケンの熱烈とはほど遠い語り口、さらに、オバマの事実上の沈黙からして、 近い将来には、そういうこと起こりそうもないことを示唆している。

そう。モスクワ・サミットで、ウクライナ、グルジアとNATOの話題になった際、プーチンに、オバマは、見てみないふりをしたに違いないことは、もはや明らかだ。それが、アメリカの軍隊を、ロシア経由で、アフガニスタンの戦場に派兵する唯一の方法なのだから。しかしナブッコ・パイプラインの成功が、黒海でのNATO "演習"継続や、NATOと、ロシアを除く、全黒海沿岸諸国との緊密なつながりと同様、ロシアをいらだたせるのは確実だ。またポーランドは、年内に最初のミサイル設置を予定していると大胆にも発表した。

こうしたゲームに直面しているモスクワは、ワシントンのタカ派を刺激しかねない、いかなる外交的な失敗を避けるには、決して最初に"まばたき"はしないようにする必要があろう。いずれにせよ、オバマのロシア問題主席顧問マイケル・マクフォールが、ロシア・サミット前に語った嘲笑的なセリフ、「我々はロシア人を必要としていない」というのは、決して真実ではない。ワシントンのブルガリア-ウクライナ-カフカス陰謀は、容易に分解しかねない。またたく間に。

Eric Walbergは、Al-Ahram Weeklyに寄稿している。彼とはhttp://ericwalberg.com/で連絡がとれる。

記事原文のurl:ericwalberg.com/index.php?option=com_content&view=article&id=192:bulgaria-vs-ukraine-dont-blink&catid=37:russia-and-ex-soviet-union-english&Itemid=90

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帝国は過酷だ。時間があれば、選挙で、政権を奪取させるカラー革命を狙うのだろうが、間にあわなければ、もちろん軍事クーデターも辞さない

ブルガリアでは、カラー革命が成功。

イランでは、現在、カラー革命が進行中?

ホンジュラスでは、カラー革命ではなく、クーデターが成功。

わが属国日本で、これから行われる選挙が、カラー革命の例外でいられるはずがあるだろうか?強力な軍事基地、思いやり予算(日本語では、普通は、「かつあげ」というのではないだろうか?)、そして郵便貯金等々、最大の金づるの可愛い属国を一人立ちさせてくれるはずがない。自民党ぼろ負けというのも、シナリオのような気がしてきた。

「孫悟空が、觔斗雲(きんとうん)に乗り、世界の果てまで飛んで行き、5本の柱に落書きをして帰ってくるが、その5本の柱とは、お釈迦様の手の指だった。」という西遊記、日本の現実のように思えてくる。

政権交代と騒いでも、結局は、掌の上を騒ぎ回り、自分で自分の首を締めてしまうだけ。

孫悟空は、脱走できないよう、頭に「緊箍児」(きんこじ、別称「金剛圏」)という輪をはめられていた。日本人は、独立できないように、大本営マスコミを与えられているのだろうか?

商業マスコミでない、NPJ通信では、下記のような記事が読める。

マスメディアをどう読むか

丸山重威関東学院大学教授・日本ジャーナリスト会議

問われているのは 「日本の方向」
総選挙の争点は 「政権の選択」 ではない

2009年5月12日 (火)

EU加盟から5年: 危機的状態の東欧諸国

wsws.org

Markus Salzmann

2009年5月9日

2004年5月1日の中・東欧10ヶ国の欧州連合加盟を祝うべく華麗な祭典が催された。五年前、欧州連合は拡張し、およそ7500万人の住民がいる10ヶ国を包含した。ポーランド、チェコ共和国、ハンガリー、スロバキア、スロベニア、エストニア、ラトビアとリトアニア、更に地中海の島国マルタとキプロスだ。新旧加盟諸国の元首も政府も、経済の好転、国民の繁栄と、民主的な安定への約束を、お互いに競い合った。五年後の今日、まさに逆のことが起きているのは明らかだ。

東欧のEU加盟諸国は今や、集団で経済崩壊に直面している。ハンガリー、ラトビアとルーマニアは、大規模な国際的支援によって、破産からかろうじて救われたが、東ヨーロッパ全体で、経済は不況に突入しつつある。ラトビアは、昨年の12パーセントという成長のあと、2009年は、経済が14パーセント下落すると予想されている。自動車製造に大きく依存しているチェコ共和国とスロバキアの産業も、経済活動の落ち込みを味わっている。

多くの東ヨーロッパ諸国の通貨は急落している。ポーランド、チェコ共和国とバルト海沿岸諸国の貨幣は、ユーロに対し、10から30パーセント、価値低減した。この低落の結果は、国家と個人の負債の急増であり、バルト海沿岸諸国の赤字予算はヨーロッパで最高だ。エストニアでは、国内債務と対外債務は、国家の国内総生産の二倍にものぼっている。

10のEU新加盟諸国の政府は、危機の重荷を国民に転嫁すべく、素早く動いた。つい最近の例はハンガリーだ。社会党による指揮の下、いわゆる専門家の政府が任命されたが、それは大企業幹部のみで構成されている。最近任命された諮問機関は、大幅な賃金引き下げ、公務員削減、同国のさなきだに貧弱な社会福祉ネットの更なる削減という計画を既に書き上げた。

元民間投資銀行のトップだった、政府の新首相バイナイ・ゴルドンは、公務員に対する、6000億フォリント(およそ20億ユーロ)の賃金引き下げ、社会保障の解体、国有鉄道の削減を発表した。

欧州連合に加盟するために、加盟を希望する国々は、ブリュッセルのEU官僚による命を受け、経済人の過激な公職追放を強いられた。元国有企業の民営化は、何百万もの仕事を失わせ、この地域中の政府が、EUが策定した財務基準に合致すべく、一連の予算削減を実施した。当初、国外からの高水準の投資から生じた、相対的に高い成長率が、国民各層で、より高い生活水準という希望をかき立てた。

最近の国際金融危機の悪影響が効果をあらわすにつれ、そうした幻想は消散し、東ヨーロッパ資本主義の寄生的な性格が、はっきりと表面化した。東ヨーロッパの低賃金労働者を土台に、膨大な利益を生み出した国際的企業は、産業が不振となった今や、余剰人員の大量解雇を行っている。東ヨーロッパで高い利幅も絞り取った西ヨーロッパの銀行は、その資金も引きあげている。

これらの国々の広範な国民は、失業と貧困という暮らしを運命づけられている。バルト海沿岸諸国では、失業は今年15パーセントを上回ると予想されている。ハンガリーでは、失業率予想は、6から8パーセントの幅だ。もしも自動車市場における危機が進展しつつければ、チェコ共和国だけでも、この部門で、300,000人の労働者が仕事を失う可能性があると推定されている。

これは、既に緊張した社会状況を更に悪化させるだけだろう。今や、大部分の個人家計は、もはや絶望的な赤字だ。2004年以来、エネルギー価格は平均30パーセント上昇した。プラハやブダペストのような都会では、高い家賃や生活費が、国民のわずかな給与のほとんど全てを消費してしまう。若者の家族は、若夫婦の家賃を払う余裕がないため、両親との同居を強いられることが多い。

東ヨーロッパ諸国の国民は、ブリュッセルから開発費として流れ込んだ膨大な金額の恩恵を受け損なった。EU資金の大半は、うさんくさい、半ば犯罪的な連中によって、かすめ取られたか、あるいは、国家が支援する主要建設プロジェクトを任された主要な起業家連中のポケットに直接流れ込んでしまった。

EU新加盟10ヶ国の国民は、経済的、社会的向上という希望を葬り去るだけでは済まなかった。デモクラシーについてのあらゆる約束も空手形に終わった。

東ヨーロッパにおける既存政党の一つとして、国民の利益を更に推進できるような政策を実行してこなかった。ほとんどの国で、政治舞台は、ネオリベの自由市場勢力か、正当化された社会的要素をまるごと、最も反動的なチャネルに流し込むことを狙っている後ろ向きの国粋主義者によって牛耳られている。

1989-1990年の自由市場再導入の後、元スターリン主義者の幹部たちは、早速自らの私腹を肥やし、自由市場状況を、できる限りのあらゆる手段で擁護した。この過程は極右勢力を鼓舞することとなった。ハンガリーでは、9年間の社会民主主義政府統治の後、人種差別主義者と、反ユダヤ主義攻撃が、当たり前になっている。保守派野党のハンガリー市民連合(FIDESZ)は、ファシスト勢力と緊密な接触を保っている。反政府デモは、超国家主義者に支配されていることが多い。スロバキアでは、数年前、社会党が、ネオ・ファシストの自由民主連盟と連立政権を組んだ。権力の座についた自由民主連盟は、その財源と政治影響力を大幅に増大させている。

ここ数ヶ月に行われた抗議デモは、これらの国々における潜在的な社会不安を現している。最近、ラトビア、リトアニアとハンガリー、更に、ルーマニアと、ブルガリアで、政府と、危機の結果に対する大規模な抗議デモや暴動があった。

現在、新たな加盟国内に、低賃金労働者の宝庫と、新たな販売市場を見いだした、ヨーロッパ金融エリートの利害関係のために、欧州連合が加盟国拡大を実行したことは明白だ。同時に、東ヨーロッパの窮状と貧困は、西側の生活水準と賃金を引き下げるのに利用されたのだ。

しかし、東欧市場の搾取は、ヨーロッパの銀行業界に、ブーメランのように返ってきた。東ヨーロッパにおける、西側銀行の総投資金額は、1兆5千億ユーロにものぼる。オーストリアの銀行だけでも、東ヨーロッパ諸国における貸付金額は、2240億ユーロにのぼる。これは、オーストリア国民生産の78パーセントにもあたる。こうした膨大な金額のごく一部の債務不履行は、一連の国家破産をひき起こす恐れがある。

同盟国拡張というプロジェクトそのものが、資本主義という条件の中で、ヨーロッパの調和的統一を実現することが不可能であることを、まざまざと実証した。ヨーロッパ大国間の軋轢は増しており、今やユーロ圏の崩壊すら、完全にあり得ると見なされている。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2009/may2009/euex-m09.shtml

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「日本はハンガリーとは国交樹立140年、ルーマニアとブルガリアとは国交再開50年」だと、新聞記事にあった。

コメントで、国名の誤りをご指摘いただいた。「オーストラリアの銀行」は、「オーストリアの銀行」が当然正しい。

2009年4月17日 (金)

グルジア: 大衆の抗議デモ、カフカスにおける政治危機を浮き彫りに

wsws.org

Markus Salzmann

2009年4月15日

先週末以来、グルジアの首都トビリシでは、ミヘイル・サーカシビリ大統領の退陣を求める、数万人の抗議デモ参加者により、一連のデモが行われている。金曜日、グルジア最大の港バトゥミで、数千人が抗議デモを行った。

サアカシュヴィリと その親西欧政府を、アメリカとヨーロッパ大国の支持で、権力につけた2003年のいわゆる“バラ革命”以来、最大の抗議デモだ。

抗議デモ参加者は、国家の長には、昨年8月の対ロシア戦争の結果に責任があると考えている。アメリカ支援を得て、グルジアは、南オセチア共和国に軍隊を送り込み、in an action南オセチアの首都ツヒンバリを大きく破壊した作戦を遂行し、何百人もの死傷者を生みだし、何万人もの南オセチア人に、国境を越え、隣国ロシアへの逃亡を強いた。これに対応して、ロシアは軍隊を送り込み、グルジア軍を地域から追い出した。グルジアの侵略後、アブハジアと南オセチア地域は、モスクワにより、独立したものと承認された。

サアカシュヴィリは、今や旧ソ連共和国に全力で襲いかかっている経済危機に対し、不適切な対応をしていることも、反対派から、非難されている。更に、反対派は、グルジアという国のあらゆるレベルでみられる、おびただしい種類の腐敗も批判している。

野党側は、サアカシュヴィリが退陣するまで、抗議デモを継続すると発表している。大統領としては、2013年に予定されている選挙までは、職にとどまるという決意を明らかにしている。

サアカシュヴィリは、450万人のグルジア国民の間で非常に不人気で、いかなる反対も、厳重に取り締まる流儀をとってきた。2007年11月、政府は、平和的なデモを強制的に抑圧し、グルジア全土に戒厳令を発令した。国軍が政府に批判的な民営放送局イメジTVを含む幾つかの放送局を急襲し、閉鎖させた。およそ600人の抗議デモ参加者が、当時、警察によって入院させられた。昨年、グルジアの放送規制委員会は、マエストロ・テレビ局が、政治番組を放送するのを禁じた。

一方、貧困は国中に広まったままで、サアカシュヴィリが、前任者エドアルド・シュワルナゼから、政府を引き継いで以来、事態は進歩していない。国民のほぼ半数は、最低生活線以下で暮らしており、大半の家族が、外国に出稼ぎに出ている親戚からの送金に頼っている。年金の平均は、約20ユーロだ。この国は、近年9パーセントの経済成長という実績をあげながらも、失業率は高いままで、首都でおよそ40パーセントだ。

とはいえ、右翼的で、腐敗した政府に対する、国民の様々な層の正当な怒りには、抗議デモという歪んだ表現形式しか捌け口がないようだ。抗議の背後にあるのは、主として、サアカシュヴィリの元支持者から取り込んだ、反対する人々の同盟だ。

最も顕著な人物には、ニノ・ブルジャナゼ(元国会議長)、イラクリ・アラサニア(元国連大使)、サロメ・ズラビシビリ(元外務大臣)、ズラブ・ノガイデリ(元首相) そして、イラクリ・オクルアシビリ(元国防相)らがいる。

彼らは全員が、親西欧で、新自由主義的政策の支持者だ。サアカシュヴィリの政治に対する、彼らの主な批判は、大統領が、十分な気力をもって、グルジアの利害関係を守ることをし損ねているというものだ。

元国連大使で、アブハジア亡命政府の元首相は、この点を極めて明確にした。彼は公的にアブハジアと南オセチアという分離主義者の地域の喪失を非難し、モスクワに対するグルジアの妥協なき政策を要求している。

元国会議長ブルジャナゼは、また極めて反ロシア的な姿勢をとっている。「我々は、領土の20パーセントを失った。この国は経済と政治的困難に直面する国になってしまった。またもやロシア軍事基地だ。」オーストリアン・スタンダードとのインタビューで、彼女はこう発言した。抗議デモの時期すらも、グルジアの独立を求める抗議が、ソ連軍によって粉砕された20周年と重なるよう、仕組まれていた。

昨年まで首相で、グルジアの南オセチア侵略に際して、サアカシュヴィリ大統領の背後にしっかりと立っていたノガイデリも、今やかつての導師のことを、「犯罪人」。チャチバイア大将が最近辞任し、サアカシュヴィリが、軍内部からの反対にも直面していることが明らかになっている。

元アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュが、“デモクラシーの指針”だと称揚した「バラ革命」の本当の実態を、今の状況があからさまにしている。グルジアにおける最近の展開は、ワシントンとブリュッセルが、多くの東欧諸国でひき起こした、様々な名で呼ばれた革命が、デモクラシーとは無関係だったことを示している。そうではなしに、対抗する政治党派が、関連した国々の大衆に大変な犠牲を強いながら、影響力と権力を求めて戦ったのにすぎない。

アメリカ、欧州連合加盟諸国も、ロシアも、今や状況をなんとかエスカレートさせないように努めている。先週始め、ロシア外務省次官グリゴリー・カラシンと、在モスクワ・アメリカ大使ジョン・バイアリーが、グルジアの悪化しつつある状況と、高まる抗議の波について会談した。南オセチアとアブハジアとグルジア国境の治安を、いかにして確保するかが、この会談の重要な議題の一つだった。

ヨーロッパ大陸の東半分全域で高まる抗議を背景に、西欧の有力諸国とアメリカは、現在自制し、節度を求めている。彼らは、この抗議が、極めて急速に、この地域の脆弱な政府では統制しきれない大変な事態になりかねないことを十分承知している。先週も、モルドバ共和国で、警官と、政府の退陣を求めるデモ参加者の間で、暴力的な衝突があった。

グルジアにおける、政治状況の激化は、あきらかに、この国の悪化しつつある経済的衰退と結びついている。グルジアは、昨年末以来、経済の急激な悪化を味わっている。2008年の最終四半期、経済成長は、2007年の7パーセント以上から、わずか2パーセントへと落ち込んだ。

サアカシュヴィリの元で、外国人投資家をひき寄せることを狙った無数の改革が実施された。企業税は大幅に引き下げられ、外国資本に対する制限は、かなりwaived。世界銀行が行った、世界各国の「対事業-好意度」の度合いを測定する世論調査では、グルジアは、2005年の112番目から、2008年には15番目へと急上昇した。2007年、経済に対する直接投資は、国民総生産のおよそ20パーセントにものぼった。

国際的な金融危機の結果として、そうした投資が枯渇することにより、グルジアや、他の多くの東欧諸国における経済崩壊がひき起こされた。9月にIMFは、グルジアに対し、7億5000万ドルのクレジットを供与することに合意した。しかしながら、この金額は、経済の安定性を保証するのに十分ではないことは、既に明白だ。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2009/apr2009/geor-a15.shtml

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タイや、東欧やら、フランスの大衆運動の記事を読むと、日本に暮らしている人々の多くは、ガラパゴス諸島の絶滅危惧種生物のような、特別な種族なのかもしれないと、妄想してしまう。遺伝子が違うのか、マスコミが強力なのか?中国古典にある、「朝三暮四」的な人種なのかもしれない。

名著『ゾウの時間、ネズミの時間』冒頭にある、「島の規則」と呼ばれる古生物学の法則なるものを読んで以来、頭にうかんだこの妄想が、ずっと消えずにいる。

2009年4月11日 (土)

水泡と帰したか、カラー革命?

Russia Today

2009年4月10日、03:54

過去十年間の多くの旧ソ連邦諸国とは違い、モルドバにおける野党側による騒乱の場合、何かが根本的に異なっていた。今週のキシナウ(ロシア語ではキシニョーフ)での出来事を、既に革命と見なしている専門家もいる。

専門家は、これを何と呼ぶべきか、今回は失敗ではあるが、もう一つのカラー革命なのかどうか、既に、決定している。

この情勢の変化に対する表現として一番評価が高いのは“Twitter”革命だ。抗議参加者が組織化活動をする上で、インターネットと、テキスト・メッセージ機能が、決定的な役割を果たしていた。名称こそ新しいが、パターンそのものはお馴染みのものだ。

その一: 選挙で、不正をされた-少なくとも、そういうことになっている。

その二: 投票の再集計- ソ連後の諸国で、今や必須の事後処理だ。

違いはなんだろう? 国際監視員たちは選挙は公正だと言い、今回は、指導部の交代だけでは不十分で、抗議参加者は、主権の変更を要求している。

「デモ参加者ですと? 連中は、破壊者と呼びたいが、モルダビアの独立国家としての地位を崩壊させるという考えに取りつかれている」とロシア外務大臣セルゲイ・ラブロフは発言した。

暴動のさなか、ひるがえっていたのは、モルドバの隣国ルーマニア国旗だ。

「我々は、これについて、EUの注意を喚起したが、彼らはこれを非常に深刻に受け止めることを確約しており、ルーマニア国旗やスローガンが、モルドバ政府の状況を崩壊させるための口実に使われるような状況を防ぐべく、この暴力を非難したEUとルーマニア政府が対策をとってくれるよう期待している」と、ラブロフは補足した。

不思議なことに、EUはこの動きをほとんど無視した。過去10年間にわたって、多くの旧ソ連共和国で、カラー革命が起きた。ウクライナ、グルジアやキルギスタンでの革命では、新たなカリスマ的な「西欧指向」指導者が権力を握り、成功として称賛された。

ウクライナには二人もいた。"オレンジ革命"をかきたてた、ヴィクトル・ユシチェンコと、ユリア・ティモシェンコのデュエットだ。

しかし、一年の内に、この二人組は、革命精神を喪失し、対立して、これも問題であることが判明した。

四年後の今、ウクライナが債務不履行の地獄に直面する中でこの二人は、未だに誰が悪かったのか言い争いを続けている。

トビリシには、ミーシャが現れた。ミヘイル・サーカシビリと、彼のバラだ。大統領エドアルド・シュワルナゼの辞任を要求して、何千人ものグルジア国民が街頭にでての、穏やかなデモから始まった。

英語が流暢なサアカシュヴィリが紅潮してこう語った。「我々は平和的だったので、警察は我々を止めなかった。我々は暴力を用いなかった。武器をもっていないことを示すために、我々は両手をあげていたので、警察は我々が[政府の建物]に入るのを放置した。」

四年後、もう一つの穏やかなデモが行われ、何千人もの人々が、またもや大統領の辞任を要求したが、今度ばかりは、サアカシュヴィリも反抗的だ。

バラ革命は、しおれ、かつての仲間が、サアカシュヴィリの仇敵となり、今週の集会で、何千人もまとまり、辞職を要求した。

キルギスタンはビシケクのチューリップ革命の場合、計画通りに花開きはしなかった。

ソ連後の共和国諸国や他の国々で、革命というハンドルを操作していた西欧が、革命運動の指南をしていた、西欧から資金援助を受けているNGOに対し、厳しい措置をとったのだと、専門家は見ている。

ロシア雑誌プロフィール誌のフョードル・ルキャノフは、こう考えている。「これは、当時アメリカ政権の優先課題だった‘デモクラシーの推進’と称する大きな政策の一部でした。この考え方は、アメリカで衰退しはじめ、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジアでも、カザフスタンや、モルドバのどこででも、もはや二度目の革命は成功できなくなっているのです。」

「この現象は、ブッシュ政権時代と、大いに関係していたと思います」とルキャノフは言い添えた。

記事原文のurl:www.russiatoday.com/Politics/2009-04-10/Colour_revolutions_come_to_nought.html

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2003年 グルジア・バラ革命
2004年 ウクライナ・オレンジ革命
2005年 日本・郵政911選挙

2009年4月 6日 (月)

アメリカ・ミサイル防衛網計画、プラハでのオバマ歓迎に水をさす

プラハ、4月4日(RIA ノーボスチ)

同国内におけるアメリカのミサイル防御網計画に抗議しようとチェコ人が待ち構える中、土曜日、アメリカ-EUサミットのために、アメリカのバラク・オバマ大統領がチェコ共和国に到着するにあたり、歓迎するようなしないような、中途半端な対応を受ける可能性が高い。

大統領と妻のミッシェルは、ロンドンG20サミットの目玉であり、NATO 60周年サミット前のストラスブールで、フランス大統領ニコラ・サルコジとカルラ・ブルニ・サルコジの花形ゲストだった。

チェコ共和国が、六ヶ月輪番制の欧州連合議長であるため、オバマは、EU会議のためプラハを訪問するわけだが、計画されているミサイル防御システムのレーダー基地が、チェコにとって主要な問題となる可能性が高い。

数千人の人々が、日曜日、計画に反対して抗議することが予定されているが、世論調査によるとチェコ国民の70%がこの計画に反対であり、オバマは、国会議員40名を含む、政治的、国民的有名人130人が署名した抗議状を受け取る予定だ。

基地とその人員問題に関する条約は、チェコ政府とブッシュ政権の間で締結されているとはいえ、国会はまだ条約を批准しておらず、先月チェコ政府が倒れて以来、この話題は、議題からはずされている。

チェコ社会民主党によると、党首イジー・パロウベクも署名者の一人であり、この元チェコ首相は、選挙民が新国会を選んだ後、首相の地位に返り咲く可能性もある。

とはいえ現在の指導部すら、煮え切らない歓迎の見込みしか表していない。

その政府が、三月に、不信任投票で破れた、ミレク・トポラーネク首相は、オバマの緊急経済対策を、"地獄へのハイウエイ"と呼んでおり、また、遠慮のないヴァーツラフ・クラウス大統領は、特に欧州連合と、気候変動を巡って論争を招いていることで有名だ。

従って、おそらくオバマが最近のアメリカ国内での作戦に沿い、プラハ城前での野外演説を利用し、アメリカ海外政策とアフガニスタンでの軍事協力について明らかにすべく、直接チェコ国民に話しかけようとしても驚くべきことではあるまい。

大統領がミサイル防御網問題に触れるかどうかは不明だが、チェコ国民は注意深く耳を傾けるだろう。アメリカ大使館から入場券を入手できない人々は、プラハ中心部の巨大画面で、イベントをライブで見ることができよう。

チェコ共和国内のレーダーと、ポーランド国内の10基の迎撃ミサイルによって構成されるミサイル防御システムは、長いこと論争の的になっている。プラハとワルシャワにとって中心的なものである、ロシアを怒らせてしまうという懸念にもかかわらず、この配備についての合意を得ようと、ジョージ・ブッシュ大統領は頑張った。

ロシアは、ロシアの国家安全保障に対する脅威だとして、ミサイル防御網に対して、一貫して反対しつづけており、一方アメリカ合州国は、イランなどのような"ならずもの国家"による攻撃の可能性を阻止するにはこれが必要だと主張している。

ロシア首脳は、繰り返し、アメリカの新政権が計画を最後まで完遂しないと良いという希望を表明してきた。またドミトリー・メドベージェフ大統領は、水曜日、オバマとの対談後、両国は"この難しい状況から脱する方法を"見いだすべく、あらゆる努力を払うつもりだと語った。

記事原文のurl:en.rian.ru/world/20090404/120919251.html

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関連翻訳記事の一部:
ワシントンとポーランドのミサイル防衛条約、世界を大戦へ一歩近づける

アメリカのミサイル網


これもまた「プラハの春」。くだらないテポドン騒ぎで、郵政カンポ施設譲渡の闇、すっかり消滅させられた。
まともに考えれば、本当に怖いのは、ゴミのような軍事予算しかない北朝鮮ではなく、日本の金と血をむしりとろうとする世界最大のならずもの国家、宗主国様だろう。

「アメリカのミサイル網」の記事に付記したコメントをそのまま複写しておく。

ヨーロッパでのMDをめぐる状況の展開と、東アジアでのそれとは実に対照的。

費用60億円の迎撃ミサイル発射実験、海自が失敗 読売記事

日本の軍・政治のトップは、第二次大戦の教訓を学ばず、かつての敵国の走狗となって、ごみ箱入りミサイル・システムに驚くほど巨額なむだ金を投じている。

陸では、パトリオット(愛国者)ミサイルPAC3なる売国的ミサイルが配備されている。

ミサイルで幸せになるのは、属国・宗主国のトップと軍需産業だけだろうに、さほど報道されずに、厚生省暗殺事件一辺倒。

昔攻めたアジア諸国との信頼関係がない、アパ論文が大手を振って通る日本には、ロシアに対するフランスのように、同調してくれる近隣諸国の声など決してあらわれない。

「属国でいてくれた方が安心」「余剰資金はごみ箱に捨ててほしい」と周囲の国々には思われているのかも知れない。今回の金融バブル崩壊で、宗主国に、10兆円既に献上したのだろうか、するのだろうか?

いや、そう思われるような特殊なイデオロギーを持っていればこそ、宣伝してくれればこそ、ごみ箱ゆきのミサイルを売りつけるのに便利なので、傭兵の「トップにしてもらえる」のだろう、と今ふと気がついた。

彼のトンデモ発言が宣伝されているのは、イラクでの安保条約・地位協定成立と並行する、対アジア諸国向けの日本属国恒久化の高等戦術のようだ。

「安保をなくして、独立したい」という異論反論を言うようでは、属国での出世はおぼつかない。

09/04/06補足:

孫崎亨という元外交官の方、出世を目指さない、素晴らしい方だと、彼の新著、『日米同盟の正体―迷走する安全保障』(講談社現代新書、2009年3月20日刊、798円)を拝読して思う。今、安全保障政策について考える場合、必読書だろう。

森田実氏も、ブログのエントリー記事4.5 その5で、同書、同氏を激賞しておられる。全く同感。田母神なる人物の暴論は新聞・テレビであきるほど報道される。孫崎亨氏の正論、新聞・テレビは全く触れない。

ところで、ちきゅう座の下記エントリー、今回のテポドン馬鹿騒ぎの狙いを明らかにしてくれている。
<09.04.04>
北朝鮮ロケットの「破壊命令」―真の標的は「血税と憲法9条」
<安原和雄> 安原和雄の仏教経済塾
同じ筆者で、
<09.03.20>
「生命線」・シーレーンの確保-あの「海賊対策」がめざす本音
も必読。

ちきゅう座、本山美彦大阪産業大学経済学部教授、京都大学名誉教授記事他いずれも素晴らしい。
拝読を、日課にさせていただこうと思っている。

 

2008年12月31日 (水)

グルジアまたもや暴挙?

2008年12月30日、13:43

Russia Today

グルジアが戦車と装甲車両を南オセチア国境付近に移動したと、月曜日、共和国政府は述べた。

「入手している諜報情報によると、グルジアは、28輌の戦車を、戦車大隊が配備されているゴリ市に移動した。しかも、コブラ装甲軍用人員輸送車が、南オセチア共和国の国境直近のニコジ村で発見されている」と報道発表にある。

この報道が本当の状況であれば、グルジアが、共和国の支配を奪い返そうという狙いで南オセチアを攻撃した際、8月7日に至るまでの日々に目撃できたであろうものと良く似ている。南オセチアは、アブハジアとともに、1990年代初期にグルジアから分離した。

一方、グルジアの警察幹部は、グルジアがゴリに配備しているといわれる戦車大隊を強化したという、南オセチア国防省の主張を否定した。

「ゴリ市の元戦車大隊の配備基地には、現在アパート群が建設中なので、この情報は真実ではない」と現地の警察署長ウラジーミル・ジュゲリは語っている。

「コブラ警察用車両については、そのような車両がツヒンヴァリ地域の交番付近を巡回しているのは事実で、あらゆる紛争当事者には、ずっと前からこの件は通知済だ」とジュゲリは語っている。

地域の状況を巡って懸念を表明しているのは南オセチア政府だけではない。先週金曜日、EU監視団は、南オセチアとアブハジア国境に近い地域への、グルジアの装甲車両配備について懸念していると語った。

記事原文のurl:www.russiatoday.com/ossetianwar/news/35444

2008年11月17日 (月)

キエフ、南オセチア戦争の真実が語られることを恐れる

ボイス・オブ・ロシア

2008年11月13日

ウクライナの首都キエフで“Voina 080808. Istoriya predatelstva”(08.08.08「戦争。背信の物語」)というグルジアの南オセチアに対する最近の侵略を語る映画の上映が、阻止された。この映画は、ニュース映像、目撃者の証言とドキュメントに基づいている。

11月13日、火曜日、ロシア人映画作家アレクセイ・アキーモフによるこのドキュメンタリー映画が、キエフのハャット・ホテルで上映されるはずだった。ところが、ウクライナ当局は映画上映を禁じた。映画上映は、攻撃的な若者たちのデモを引き起こしかねないというウクライナ治安機関トップの書状が、映画を見にやってきた、ヴェルホヴナヤ・ラダ(国会)議員や一般人代表に提示された。従って、映画上映は禁止された。

事実から判断すると、結果的にロシアが平和に対する侵略者に対して実力行使をする必要性に迫られたカフカスにおける八月戦争についての真実を、当局は、ウクライナ人に知って欲しくなかったのだ。ウクライナ議会のコンスタンチン・コサチェフ議員の、コメントは下記の通り。

グルジア-オセチア、およびグルジア-アブハジア紛争は、当初、更なる流血の防止と、人の死という損失の排除を目指したものだったというのが我々の立場です。そして我々はまさにそれを継続して行っています。ソ連後の空間で、より多くの紛争がおきるようなことがあれば、私たちは同じことをします。

ウクライナ大統領ビクトル・ユシチェンコと彼の熱心な支持者たちは、南オセチアの出来事を違う風に解釈している。彼等は、侵略行為をしたグルジアを、事実上、犠牲者として、描き出している。そして、平和な民間人の皆殺しを急遽停止させたロシアを、侵略者として、描こうとしている。そのような解釈は、有力なウクライナ政治家の反ロシア的な見解に基づいており、サアカシビリ政権との気ごころの通じた親密な関係とつながっている。

政治的共感と趣味だけが、そうしたやり方を決めているわけではない。映画「08.08.08戦争。背信の物語」は、南オセチアでの出来事におけるヴィクトル・ユシチェンコ大統領の見苦しい役割についての話だ。南オセチアの民間人や平和維持軍の兵士を殺害するのに使われたウクライナ兵器が、サアカシビリ政権に供給されたのは、彼の同意によるものだ。現在、ヴェルホヴナヤ・ラダ(国会)の特別委員会が、この問題に対する調査を行っている。それを率いるヴァレリー・コノヴァリュク議員は、ユシチェンコ大統領と他の何人かの幹部、武器の輸出に関与した組織のトップは、無数の不正行為を罰せられるべきだという意見だ。グルジアへの武器輸出による収入が何に使われたのかは依然として不明だ。

かくして、カフカスにおける戦争に関するより広範なグラスノスチは、キエフの支配エリートの利害関係に反しているわけだ。

記事原文のurl:www.ruvr.ru/main.php?lng=eng&q=34997&cid=56&p=13.11.2008

2008年11月 7日 (金)

世界的金融危機で、東ドイツ人、マルクスに殺到

2008年10月16日木曜日、1:48pm EDT

ロイター

エリック・キルシバウム

ベルリン(ロイター)

ベルリンの壁崩壊から二十年後、共産主義創建の始祖カール・マルクスは、東ドイツでは大流行だ。世界的な金融危機のおかげだ。

彼による1867年の資本主義の批判的分析、"資本論"は、出版の墓場からよみがえり、学術出版社カール-ディーツ-フェァラークにとって、ありそうもなかったベストセラーになってしまった。

「誰も、'資本論'の需要など決して現れることなどなるまいと思っていたのですが」代表取締役ヨルン・シューェトルンプは、今年これまでに1,500冊販売しており、2007年一年で売れた量の三倍で、1990年から100倍の増加だとロイターに語った。

「銀行家や経営者さえも、今'資本論'を読んで、彼等が我々に対して何をしてくれたのかを理解しようとしているんです。マルクスはもう今や、決定的に'はやり'です。」とシューェトルンプは言った。

マルクスの古典的論文のリバイバルは、1989年まで共産主義国家で、現在高い失業率と貧困に苦しめられている東ドイツの多数の国民による、資本主義の広範な拒絶を反映している。

一カ月間の強烈な金融界の混乱で、アメリカ合州国の銀行が何行も倒産し、ドイツでも他国でも、政府による一連の救済措置を余儀なくされていることが、反資本主義心情に油を注いでいる。

彼女自身東独出身者であるアンゲラ・メルケル首相は、今週5000億ユーロの金融救済パッケージを発表したが、この措置は無責任な銀行家たちへのご褒美だと非難されている。

最近の調査では、52パーセントの東ドイツ人が、自由市場経済は、「不適当」だと考えており、43パーセントが、資本主義よりは社会主義の方が好ましいと述べているが、何十人も普通の東ドイツ人にインタビューしてみて、この所見が確認できた。

「「資本主義の恐怖」を学校で習いました。本当にその通りでしたよ。カール・マルクス本当に正しかったのです」東ベルリンの46歳のIT労働者トーマス・ピビットはそう語った。

「壁の崩壊までは、かなりよい暮らしでした」彼は付け加えた。「誰もお金のことを気にしませんでした。なぜなら、お金など重要ではなかったのです。たとえ仕事を欲しいと思わなくても仕事はありました。共産主義思想というのは、そう悪いものではありませんでした。」

資本主義はもっとひどい

旧共産主義国での失業率は14パーセントで、西側平均の倍であり、給料はずっと安い。何百万もの職が、ドイツ統一後に失われた。多くの東ドイツの工場は、西側の競争相手に買収されたり、休業したりした。

「共産主義はクxだと思っていたが、資本主義はもっとひどいね」、旧東ベルリン中心部のアレグザンダー・プラッツ近くを散歩していた76歳の元鍛冶屋ヘルマン・ハイベルは言った。

「自由市場は残忍だ。資本家は、もっと、もっと、もっと、搾取したがるんだ」と彼は言う。

ヘルムート・コール首相が「繁栄の展望」を約束した時、東では、自由市場への希望は高かった。

しかし、ベルリン郊外、ライプツィッヒとバルト海沿岸の一部地域は繁栄しているものの、それ以外の多くの地域は、過疎化と高い失業率に苦しんでいる。

野党の左翼政党は、エーリッヒ・ホーネッカーのSED党がその根源にあたるが、国民の失望に乗じて、30パーセントの支持がある東で最も人気のある政党となった。

「資本主義が我々にとって良い制度だとは思いません」と、46歳の市職員モニカ・ウェーバーは言った。

「富の分配は不公平です。それを目の当たりにしています。強欲な銀行家たちのおかげで、私たちのような弱い連中が、この金融の混乱に対して、高い税金で金を払わせられるのです。」

多くの東ドイツ人同様に、ラルフ・ヴルフも、ベルリンの壁が崩壊し、資本主義が共産主義にとって変わるのを喜んだという。しかし多幸感はあっけなく消えた。

「一体自由市場経済とはどういうものかを理解するには、数週間で十分でした。」とヴルフは語る。「ひどい実利主義と搾取です。人間は自分を見失います。物質的な快適さはありませんでしたが、共産主義にもいいところはありました。」

だが、全員が資本主義を非難しているわけではない。アストリド・ゲルバーは、勤めていた会社が休業するまでは、東ベルリンで仕立屋のマスターだった。

「私にとって夢のような仕事でした」と42歳のゲルバーは言った。彼女は七年間失業していて、新聞雑誌売り場を始めたのだが、週に90時間も働いたので、家族がばらばらになってしまった後で、店を閉めた。

「資本主義には良いところもありますが、共産主義だってそうですよ」と彼女は言った。「一方の方が、もう一方より良いとは言えませんね。」

記事原文のurl:www.reuters.com/article/artsNews/idUSTRE49F5MX20081016

記事は、実際は二ページ。

2008年9月 6日 (土)

グルジアのチェイニー:石油を追い求めて砲艦外交

Tom Eley

2008年9月5日

先月のカフカスにおける戦争の余波の中、アメリカは、ロシアとの緊張を着実に深化させる策を継続している。

木曜日、アメリカ副大統領ディック・チェイニーがグルジアの首都トビリシにあらわれた。チェイニーは、グルジアのNATO加盟に対するアメリカの支持を繰り返し表明する一方、ロシアに対し敵意に満ちた非難をした。

わずか一日前、国務長官コンドリーサ・ライスは、貧困にあえぐ黒海の国家に対して、10億ドルという驚くべき金額の財政支援を提案した。

訪問中、チェイニーは、グルジアはアメリカの軍事保護領だと宣言するのに等しい発言をした。グルジア大統領ミヘイル・サアカシュヴィリに、チェイニーは「アメリカ合州国の支持と援助の継続を期待してよろしいと言ってやった。私は大統領に、グルジアの領土保全に対するわが国の固い支持も保証した。」と語った。

「グルジアは我々の同盟国だ」チェイニーは約束した。「NATOは防衛同盟だ。誰に対する脅威でもない。」

主要なヨーロッパ諸国、特にドイツが、ブッシュ政権の熱心な努力にもかかわらず、今の所、反対しているため、グルジアはまだNATO同盟国に加盟できずにいる。これも、最近の戦争の結果、変わるかも知れない。

ブッシュ政権が提案している10億ドルの支援計画は、6300万ドルだった昨年の財政的援助に比べて莫大な増加であり、グルジアは、イスラエルとエジプトにつぎ、アメリカ対外援助を三番目に多く受ける国となる。資金のおよそ半額は今年の議会で承認される予定で、残りの半額は、議会の次期会期の始めに承認される予定だ。

ライスは、資金は戦争の間、ロシアの攻撃によって破壊されたグルジア軍再建に割り当てるものではないと主張した。とはいえ、グルジアの金庫に入ってしまえば、資金がまさにその目的で使われることはないと信ずべき理由はほとんどあるまい。ガーディアンのある報道は、チェイニーは訪問中に「グルジアの武器購入希望品の長いリスト」について会談するだろうと書いている。

水曜版の「グルジアを救え」という見出しの社説で、ニューヨーク・タイムズは、チェイニーの訪問に対しては「神経をとがらせてはいた」ものの、グルジアに向けた予算支出案と、ブッシュ政権の強硬な反ロシア姿勢を歓迎した。タイムズによると、「西側は、決して怖じ気づいて、奮闘しているデモクラシーを見捨てるようなことはしないのを、モスクワは理解するべきだ。」

黒海におけるアメリカの権謀術数はデモクラシーと無関係だ。そうではなく、二つの密接に関連する狙いが、グルジアに対するライスの莫大な財政支援提案と、チェイニーのほぼ同時期の訪問を鼓舞したのだ。第一に、ワシントンは対ロシア戦争に備えつつあること。第二に、ロシアの軌道外に、石油と天然ガス・パイプライン確保を求めていること。

チェイニーのグルジア訪問は、核ミサイルを迎撃するように設計された、明らかにロシアに対して向けられている、アメリカのミサイル・システムを、ポーランドが国内に設置することを同意したわずか二週間後、ロシアに敵対的なもう一つの国ウクライナに対して予定されていた訪問より、わずか一日前のことだ。

チェイニーがグルジアに到着したのと同じ日、アメリカは表向き人道的任務で、更にもう一隻の戦艦、地中海艦隊の旗艦、揚陸指揮艦マウント・ホイットニーを黒海、グルジアへと向かわせた。

これはもう典型的な砲艦外交だ。だがワシントンは、対ロシア戦争の高度な準備を行いつつある。これには、アメリカの政治、軍事支配者達が、迎撃ミサイル網によって、それを実行することが可能になったと考えている核兵器による第一撃も含まれている。

グルジア訪問の前日、チェイニーは、ヨーロッパ市場向けカスピ海石油とガスの唯一の非ロシア支配経路、バクー-トビリシ-ジェイハンの石油と、バクー-トビリシ-エルズルム・ガス・パイプラインの出発点アゼルバイジャンにいた。グルジア安全保障会議書記アレクサンドル・ロマイアは、共に行った訪問は「代替エネルギー・ルートとエネルギー源は、確保されるという、極めて明瞭な信号だ」と語った。

アゼルバイジャンは、イルハム・アリエフ大統領のもと、最近はワシントンとモスクワの中間を行こうと試みてきた。グルジアをめぐる西側からのロシアの孤立にかかわる公式発表では概して中立的な立場をとり続けており、モスクワは、アリエフ政府に言い寄ろうと試みている。アゼルバイジャンは、グルジアでの不安定さを理由にして、石油の一部をロシア・パイプライン経由で流し始めてさえいる。アナリストは、チェイニー訪問は、バクーをなだめて引き戻そうとする試みだと考えている。

チェイニーは、アゼルバイジャンでの短い滞在の間に時間をさき、BPとシェブロン石油の現地幹部と非公式会談を行った。

アゼルバイジャン滞在中、チェイニーは、この地域で、軍事、および石油/ガス枢軸の形成を狙っていることを明らかにした。チェイニーは「エネルギー輸出ルートは多様で、信頼がおけるものであること」に対するアメリカの関心の重要性と、「資源の自由な流れを保証するエネルギー輸出のための追加ルート」が必要であることを指摘し、エネルギー・パイプラインの保護と増設のために、トルコの支援を得ると約束した。ロシアの経済的復活の基盤と、ロシアの石油輸出をむしばむべく計算された取り組みだ。

そのような同盟の二つ目の目的は対イラン戦争の準備だろう。トルコとアゼルバイジャンはイランに国境を接しており、グルジアは輸送拠点と空爆作戦基地として利用可能だろう。

下記も参照:

European Union summit sides with Georgia

[2008年9月2日]

Danger grows of NATO-Russian clash in Black Sea

[2008年9月1日]

Georgian crisis heightens US-Russian tensions over Ukraina

[2008年8月29日]

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2008/sep2008/chen-s05.shtml

2008年8月29日 (金)

事実?作り話? なぜチェイニー側近が戦争前にグルジアにいたのか?

James Gerstenzang

27/08/08 "LA Times"

チェイニーの側近が、戦争開始前にグルジアにいた。グルジア大統領ミヘイル・サアカシュヴィリの軍隊が、反グルジア政府の南オセチア人と、更にはロシア軍との悲惨な戦闘へと至った戦闘を始める直前、ディック・チェイニー副大統領の国家安全保障担当側近は、グルジアで一体何をしていたのだろう?

副大統領府によると、読者が想像されるようなことではない。読者のご想像が、チェイニーがグルジアの軍事作戦に賛同していた、などということを念頭におかれているのであればだが。

確かに、ロシアに立ち向かうという話題であれば、現政権中でチェイニーは強硬論の先導者だ。父ブッシュ大統領政権の間に冷戦が終了した際、ペンタゴンを指揮していたこの人物、モスクワとの対決を再開する覚悟ができていると思われているほどだ。

チェイニー自身は、アメリカ政権の支持を誇示すべく、回想録署名のため、先週、在ワシントン・グルジア大使館を訪問した。

そう、確かに、チェイニーの国家安全保障問題次席補佐官ジョセフ・R・ウッドは、戦争が始まる直前、グルジアにいた。

ただし、副大統領府によれば、彼がそこにいたのは、発表されたばかりの副大統領グルジア訪問の準備をするチームの一員としてだったという。(ホワイト・ハウスが、大統領や副大統領の訪問旅行の前に、準備をしたり、日程を調整したりするために、警備、政策、通信、広報担当者を派遣するのは普通のことだ。)

ホワイト・ハウスは月曜日、チェイニーが、来週レイバー・デー(9月第1月曜)共和党全国大会での演説を済ませ次第、アゼルバイジャン、グルジア、ウクライナとイタリアに急行する予定であると発表した。

つまり、アメリカの安全保障担当職員らが、戦争が始まる数日前にグルジアにいたのは、副大統領府チームとしてだったのだ。

副大統領府によれば、冷戦再開を示唆するものだという見方もある今回の軍事作戦とは、全く無関係である。

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この記事、下記で読んだ。

www.informationclearinghouse.info/article20630.htm

驚いたことに、嘘ではなく、本当に載っている!LA Times記事のurl:

latimesblogs.latimes.com/presidentbush/2008/08/georgia-war.html

LA Times記事には、現時点で、18個のコメントが書かれている。(information clearinghouseでは48個)

いずれも公式発表には懐疑的。是非お読み頂きたい。

宗主国であれ、属国であれ、国こそ違え、商業マスコミより、読者の方が正気なのだろうか。

2008年8月18日 (月)

グルジア大統領サアカシュヴィリの背後にいる人形遣いたち

F. William Engdahl

2008年8月12日

08年8月8日の、南オセチアとアブハジアに対するグルジアの奇襲攻撃をめぐる論議のおかげで、物議を醸しているグルジア大統領と、背後の人形遣いを、じっくり検証することが重要になった。調べてみると、41歳のミヘイル・サーカシュビリは、アメリカとNATOの支配者層のみならず、さらにはイスラエル軍や諜報界の支配者層ともつながった、冷酷で、腐敗した全体主義者なのだ。老いゆくエドウアルド・シュワルナゼを権力から放逐し、アメリカの大学を卒業した36歳の人物を権力の座につけた、2003年11月の有名な「バラ革命」は、アメリカ国務省や、ソロス財団や、ペンタゴンやアメリカの諜報世界とつながる機関が、動かし、資金援助をしていたものなのだ。

エネルギー・パイプラインや、民営化をめぐり、モスクワと取引を始め、もはやワシントンにとってご用済みとなった、旧ソ連の外務大臣エドゥアルド・シュワルナゼが率いる既存政権に対し、最も洗練されたアメリカの体制転覆作戦の一つ、大衆による抗議という雰囲気の外見を盛り上げるのに、民間NGO(非政府組織)を活用して、ミヘイル・サアカシュヴィリは、意図的に政権の座に祭り上げられた。

サアカシュヴィリは、アメリカの海外政策課題に対し、敵対的と見なされる体制を不安定化させるアメリカの新手法の活用として、アメリカが財政支援するNGOを基盤にして進めた、アメリカが仕組んだクーデターによって、政権の座につけられた。2003年11月24日、ウオール・ストリート・ジャーナルは、シュワルナゼ政権の転覆は「アメリカと他の西側諸国の財団によって支援された大量の非政府組織」による作戦のおかげだとはっきり書いた。ジャーナルは更に書いていた。これらNGOが、「若く、英語を話す、親西側改革を切望するインテリの集団を生み出したこと」が、無血クーデターの下地を作る上で助けとなった。

NGOによるクーデター

だがそれだけではない。CIAが支援した同じNGO連を用いたベオグラードでのスロボダン・ミロシェビッチ追放という画策に成功した直後、トビリシに着任した駐グルジア・アメリカ大使リチャード・マイルズによって、こうしたNGOは組織化されていたのだ。秘密諜報工作員と見なされているマイルズが、サアカシュヴィリのクーデターを監督したのだ。

これには、アメリカの億万長者ジョージ・ソロスのオープン・ソサエティー・グルジア財団が関与していた。元CIA長官ジェームズ・ウルジーが理事長で、ワシントンに本拠をおくフリーダム・ハウスも関与していた。1980年代にロナルド・レーガンが「それまでCIAが行ってきたことを、民間で行う」ために、つまりアメリカ政府が、非友好的と見なす政権に対するクーデターのために、創立した機関、全米民主主義基金からの、惜しみない資金援助がからんでいた。

ジョージ・ソロスの財団は、1989年の天安門での学生デモ以来、ロシアや中国や、無数の東欧諸国から退去をしいられていた。ソロスはまたアメリカ国務省と共に、アメリカを本拠とし、グルジアやウクライナの2004年オレンジ革命等々の体制転覆クーデターで、NGO組織全体の宣伝部門の役割を果たしているヒューマン・ライト・ウォッチの資金援助者だ。アナリストの中には、ソロスは、アメリカ国務省、あるいは諜報機関の高位の諜報員で、個人的な財団を隠れ蓑として使っていると考えている人々がいる。

もはや協力的ではなくなったシュワルナゼの後継候補として、アメリカが承認したサアカシュヴィリが率いるグルジア自由協会に、アメリカ国務省は資金援助をした。自由協会は、「クマラ!」という組織を生み出したが、これは「もうたくさんだ!」という意味である。当時のBBC報道によると、「クマラ!」は、サアカシュヴィリが、自ら選んだグルジア人学生活動家達と共に、アメリカが資金援助していた組織、ミロシェビッチを打倒した「オトポル」の活動家たちから学ぶべく、ソロス財団の資金でベオグラードに2003年春に派遣された時、組織されたのだという。彼らは、ジーン・シャープの「戦争の一手段としての非暴力」を講じる、非暴力抵抗ベオグラード・センターで訓練された。(訳注:Gene Sharp, The Politics of Nonviolent Action, Part One書評、および田中宇氏の記事を参照)

マフィア的大統領としてのサアカシュヴィリ

2004年1月、グルジア新大統領の地位につくやいなや、サアカシュヴィリは、取り巻き連中や血縁者を政権に押し込み始めた。2005年2月のズラブ・ジワニア首相の死は、依然としてミステリーだ。欠陥のあるガス暖房機による中毒死だとする公式版が、死亡から二週間のうちに、アメリカFBIの捜査官により採用された。グルジアの犯罪組織の殺害、犯罪や、他の社会的腐敗の現象に詳しい人々にとって、これは到底信頼に値するものとは思われていない。ジワニアの死後間もなく、首相府の職員ゲオルギ・ヘラシビリが、上司が死亡した翌日、拳銃自殺したとされる。ジワニア事件の捜査スタッフの長も、後に死亡しているのが見つかっている。

サアカシュヴィリと結びついた大物連中が首相の死に関与していたと伝えられている。ロシア人ジャーナリスト、マリーナ・ペレボズキナは、グルジア人経済学者ギア・クラシビリの発言を引用している。死亡事件の前、クラシビリは、レゾナンス紙に、グルジアの主要ガス・パイプラインの民営化と売却に反対する記事を寄稿していた。首相の死体が発見される十日前、クラシビリが襲われ、編集長は、名前をだすことを拒否した「治安機関」の人物による警告という脅迫に言及した。

パイプライン問題に対する故首相の姿勢が、ジワニア殺害の直接の理由だと信じられている。ジワニアの弟ゲオルギも、ジワニアが死ぬちょっと前に、誰かが兄を殺そうとしているという警告を受けた、とペレボズキナに語っている。アメリカ国務省が、ジワニアを、アメリカ政府「自由のメダル」を受賞するためワシントンに招待した際、サアカシュヴィリは激怒したと伝えられている。サアカシュヴィリは、権力に対するライバルには我慢できないもののようだ。

賢明にも「腐敗に反対」だと自分を売り込んできたサアカシュヴィリは、家族の何人かを政府の儲かる地位に任命し、兄弟の一人をブリティッシ・ペトローリアムや他の多国籍石油会社が後押しするバクー-ジェイハン・(BTC)パイプライン計画の、国内問題担当主席顧問に任命した。

アメリカの支援によって、2004年に権力の地位について以来、サアカシュヴィリは大量逮捕、投獄、拷問という政策をとり、腐敗の度を深めた。サアカシュヴィリは、国会では、ダミーの野党にごくわずかな議席を持たせ、事実上の一党国家を生み出すよう取り仕切り、この公僕は、自分用のチャウシェスク風宮殿をトビリシ郊外に建設している。雑誌シビル・グルジア(2004年3月22日)によると、サアカシュヴィリと多くの閣僚の給料は、2005年まで、ニューヨークを本拠とする通貨投機家ソロスのNGOネットワークと国連開発計画から支払われていたという。

イスラエルとアメリカの軍がグルジア軍を訓練

南オセチアとアブハジアに対する今回の軍事攻撃は、領土紛争には、軍事的解決ではなく、外交的解決を考えるというサアカシュヴィリの約束に反しているが、アメリカとイスラエル軍事「顧問」が後押しをしているのだ。8月10日、グルジアの再統合相、テムール・ヤコブシビリは「グルジア軍訓練におけるイスラエル国防軍の役割を称賛し、陸軍ラジオ放送とのインタビューで、イスラエルは軍事力を誇りにすべきだと語っている、とイスラエルのハーレツ紙は報じている。「イスラエルは、グルジア兵士を訓練したイスラエル軍を、誇りにすべきです」ヤコブシビリは、陸軍ラジオ放送で、グルジアが契約したイスラエルの民間企業について言及し、ヘブライ語でそう語った。」

トビリシ近郊におけるロシア爆撃の目標の一つは、IsraelNN.comによると、「イスラエル専門家が、グルジア軍のために、ジェット戦闘機の機能改良をしているグルジアの軍事工場で…ロシア・ジェット戦闘機は、トビリシ近くにある工場内の滑走路を爆撃したが、そこでイスラエル警備会社Elbitが、グルジアのSU-25ジェット機の機能改良作業にあたっていた。」

イスラエル外務大臣で、今やイスラエル首相の地位を追われたオルメルトの後継者候補、筆頭副首相ツィピ・リヴニは、8月10日に「イスラエルは、グルジア領土の保全を承認する」と宣言しているが、これは南オセチアとアブハジアを専有しようというグルジアの試みを支持することを意味する暗号だ。

グルジアにいるとされる1,000人のイスラエル軍事顧問は孤立してはいない。7月15日、ロイターは以下のような報道をした。「グルジア、ヴァジアニ- 1,000人のアメリカ兵士が、火曜日、グルジアと隣国ロシアとの間の高まる摩擦を背景に、グルジアで「即時対応2008」という名の軍事訓練演習を開始した。二週間の演習は、首都トビリシに近いヴァジアニ軍事基地で行われた。この基地は、この十年間の最初に、ヨーロッパ軍備縮小条約のもとで、ロシア軍が撤退するまでは、ロシア空軍基地だった... グルジアは、アメリカが率いるイラク駐留連合軍を支援し、2,000人強の部隊を派兵しており、ワシントンは、グルジア軍に大使、訓練と装備を提供している。アメリカ合州国は、グルジアの同盟国で、NATO軍事同盟に加盟しようというトビリシの努力を支援して、ロシアを苛立たせてきた。... 「この演習の主目的は、アメリカとグルジア軍の間の協力と協調を強化することである」と、アメリカ陸軍南欧任務部隊司令官ウイリアム・B・ギャレット准将は、記者団に語っている。」

ロシアは、この地域におけるロシアの勢力を維持すべく、あからさまに南オセチアとアブハジア固有の軍隊を支援、訓練している。特に、2004年、アメリカが支援する親NATOのサアカシュヴィリ政権が権力を掌握して以来、ソ連や、ナチス・ドイツや他の国々が、資金や兵器や志願兵を注ぎこみ、第二次世界大戦の前兆となった壊滅的な戦争である、1936-1939年の内戦時スペインと似たような状況へと、カフカスは急速に変わりつつある。

プーチン、ジョージ・W・ブッシュや、多くの世界の指導者たちが、遥か北京にいる時点のオリンピック開会式当日に、実際に戦闘を開始したことに対する、奇妙な脚注として、IsraelNN.comでの、グル・ローネンの報道がある。そこで彼はこう言っている「Nfcによると、南オセチアに対するグルジアの動きは、イスラエルとイランに絡む政治的な思惑がその動機だ。グルジア軍に対する支援を削減するという決定を、イスラエルが再考することを強いるため、グルジア大統領ミヘイル・サアカシュヴィリは、分離派地域に対する支配権を主張することを決断した。」

ローネンは、更にこう付け加えている。「数日前、モスクワが、エルサレムとワシントンに、ロシアは、グルジアに対し、シリアやイランに高度な対空システムを売り渡すという継続的な支援で対応するつもりであることを明らかにして以来、イスラエルはグルジアに対する支援を停止することを決めたと、ロシアとグルジアのマスコミは報じている。」イスラエルは、カスピ海からのバクー-トビリシ-ジェイハン・パイプラインから、石油とガスを入手する計画だ。

本記事執筆の時点では、ロシアのメドベージェフ大統領が、ロシアはグルジアの目標に対する軍事的対応を停止していると宣言したものの、状況は安定とはほど遠い。グルジアをアメリカの地政学的勢力範囲に取り込み、ミヘイル・サーカシビリをめぐる不安定な政権を支援することをワシントンが固執すれば、それは、ロシアというラクダの、背中ではないにせよ、忍耐力を打ち砕く、最後の藁となる可能性がある。

石油パイプライン紛争、あるいは、ロシアのイスラエルに対する挑戦のいずれが、サアカシュヴィリの危険な火遊びの直接の要因であるかはともかく、一触即発状態のグルジアと、その人形遣いたちは、誰もその結果を制御できないようなゲームを始めてしまった可能性があることだけは明らかだ。

記事原文のurl:www.engdahl.oilgeopolitics.net/Geopolitics___Eurasia/Saakashvili/saakashvili.html

2008年8月17日 (日)

ワシントンとポーランドのミサイル防衛条約、世界を大戦へ一歩近づける

F. William Engdahl

Global Research

2008年8月15日

8月14日の、アメリカ合州国とポーランド政府間の、ポーランド領土に、アメリカの迎撃ミサイルを配備するという条約の署名は、1962年のキューバ・ミサイル危機以来、核戦争へと向かう、最も危険な動きだ。ポーランドにおけるアメリカのミサイルは、ヨーロッパのNATO加盟諸国をロシアの核攻撃から守るという防衛的な動きどころではなく、軍事戦略家達が指摘するように、ロシアという国家の将来の存在に対する全面的な脅威をもたらすものだ。2007年早々、アメリカの計画が最初に明らかにされて以来、ロシア政府は、このことについて繰り返し警告してきた。ワシントンと合意をしようというロシアによる再三の外交努力にもかかわらず、今やブッシュ政権は、グルジアに於けるアメリカの屈辱的敗北を受けて、ポーランド政府に対し、条約に最終的に署名するよう圧力をかけたのだ。結果は、ヨーロッパも世界も、思いもよらなかったものとなる可能性がある。

8月14日、アメリカの世界ミサイル防衛網の構成要素を設置するという仮条約が、ポーランドの外務審議官アンジェイ・クレーメルとアメリカの交渉責任者ジョン・ルードによって署名された。この条約のもと、チェコ共和国へのレーダー・システムに連動して、ワシントンは10基の迎撃ミサイルを、ポーランドに設置する計画だが、これはイランを含む「ならずもの国家」と彼らが呼ぶ国々からの潜在的攻撃を迎撃するためのものだという、馬鹿馬鹿しい主張をしている。

条約を実現させるため、ワシントンは、ポーランドの防空を強化することに合意した。条約には、両国政府とポーランド議会による承認が必要だ。ポーランド首相ドナルド・トゥスクは、テレビ放送された発言で「カフカスでの出来事が、このような安全保障が不可欠であることを明らかに示している。」と述べた。グルジアでの最近の敵対行為に先立つ数カ月間、米-ポーランド・ミサイル交渉は長引いていた。

ブッシュ ホワイト・ハウスの報道官ドナ・ペリノは「ミサイル防衛は、NATOの集団安全保障に対する多大な貢献だと確信している。」と公式に述べた。当局者は、ポーランドの迎撃ミサイル基地は、2012年までに開設される予定だと語っている。チェコ共和国は、アメリカのレーダー設備を受け入れる条約に7月8日署名している。

この署名によって、ロシアとNATOの間の緊張が激化し、新たな冷戦軍拡競争が本格化することは確実だ。秋に刊行予定の拙著『Full Spectrum Dominance: The National Security State and the Spread of Democracy』中で、詳細にご説明していることをご理解いただくことが大切だ。これは、対抗する二つの勢力の一方が、相手側の領土から90マイル以内に、例え初歩的なものであれ、第一世代対ミサイル迎撃ミサイル網という形で、ミサイル迎撃ミサイルを設置する能力が得られれば、設備を持った側が、核戦力のバランス上、事実上勝利し、相手側に対して、無条件降伏を検討するか、あるいは、2012年以前に、先制核攻撃をしかけるか、いずれかを強いることになるものだ。金曜日、有力なロシア議員達は、条約はヨーロッパの安全保障を損なうと語り、安全保障を確保すべく、ロシアが手段を講じなければならないことを改めて表明した。

ロシア議会の国際問題委員会副委員長アンドレイ・クリモフは、この協定は、ワルシャワの「アメリカに対する忠誠心と、物質的利益の誇示を意図したものである。アメリカにとっては、ロシアにより近い場所を含め世界中に軍駐留を拡張する好機である。NATOにとっては、これは付加的なリスクだ...ドイツやフランスを含む多くのNATO諸国は、この条約には不満だ」と語った。

クリモフはこの条約を冷戦への「後退」と呼んでいる。

ロシアの対応

アメリカが支配するヨーロッパと北米用ミサイル網の一部として、チェコ共和国にレーダーを、北部ポーランドに、10基の迎撃ミサイルを配備することをアメリカは計画しているが、それを公式的には、イランを含む「ならずもの国家」からの潜在的な攻撃に対するものだという、馬鹿馬鹿しい主張のもとで売り込んでいる。昨年春、当時のロシア大統領ウラジーミル・プーチンは、アメリカに、イランのミサイル発射を監視するには、ずっと良い、イラン国境のアゼルバイジャンにあるロシア・レーダー施設を賃貸使用するという驚くべき案をブッシュ大統領に持ちかけ、このアメリカ・プロパガンダ文句の浅薄さを曝露した。ブッシュ政権は、この申し出をあっさり無視し、彼らの本当の目標が「イランのようなならずもの国家」ではなく、ロシアであることをむき出しにした。ロシアは、rightlyアメリカ・ミサイル網の配備を、自国の国家安全保障に対する脅威だとみなしている。

最新のポーランドの条約で、ロシアは対応を強化。

ロシア当局者は、もしもワシントンが、ヨーロッパ・ミサイル網計画を実現すれば、モスクワは、ベラルーシ共和国とロシア最西端の飛び領土カリーニングラードに、イスカンデール戦術ミサイルと戦略爆撃機を配備する可能性があると、先に述べている。モスクワは、更にポーランドのミサイルを標的にする可能性があると警告した。

ロシアの上級軍事専門家によると、アメリカの中欧ミサイル防衛計画に対抗して、ロシアも軌道弾道ミサイル・システムの導入を議論している。

「アメリカの防空基地を回避し、南極経由でアメリカ領土に到達できる軌道弾道ミサイルを実現する計画を導入する可能性がある」と、元ロシア戦略ミサイル軍幕僚長で、安全保障、国防、法執行研究アカデミーの現副理事長、ビクトル・イェシンは語っている。

これまで、アメリカとの冷戦後合意の一部として、関連する条約があったが、ワシントンは、NATOの国境をモスクワの戸口へと一層近づけようとする一方、これらの条約を、「大幅に」無視してきており、START I条約に従って、ソ連は、そのようなミサイルを放棄していた。

オバマも、ミサイル防衛を支持

この協定は、今後、ヨーロッパ諸国を、バラク・オバマの海外政策顧問ズビグニュー・ブレジンスキーが、あからさまに、アメリカの「家臣」と呼んだ国々と、より独立した政策をとる国々とに分裂させるだろう。

民主党のオバマが大統領になれば、近年のこのようなNATOとアメリカ軍の挑発的な動きは逆転するという類のあらゆる幻想は、危険な希望的観測として片づけられるべきだ。オバマの海外政策チームには、父親のズビグニュー・ブレジンスキーに加え、アメリカの現ヨーロッパおよびNATO問題担当国防次官補代理である、ブレジンスキーの息子イアン・ブレジンスキーがいる。イアン・ブレジンスキーは、コソボ独立や、ウクライナとグルジアも含めるNATO拡大だけでなく、アメリカ・ミサイル防衛政策の熱心な支持者なのだ。

F. William Engdahlは、Global Researchの常連寄稿者。F. William Engdahによる、Global Research記事


 

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記事原文のurl:www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=9836 

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2008年8月14日 (木)

グルジア戦争は、ネオコンの大統領選挙用策略か?

Robert Scheer

2008年8月12日

大統領選挙で、相手に不利な情報を選挙直前の10月に流す、おきまりの「オクトバー・サプライズ」が、今回は10月ならぬ8月に試みられ、ロシアという熊の支配から離れて生存しようと苦闘する、大胆で勇敢なグルジアというたわごとが、アメリカ大統領選挙に影響を与えるべく準備された可能性がある。

そうした可能性をはねつける前に、4年間グルジア政府から給料をもらうロビイストをしていたが、共和党大統領候補ジョン・マケインの上級外交政策顧問となった数カ月後の三月に公式ロビー活動を辞めたばかりのランディ・シェーネマンの役割を検討していただきたい。

シェーネマンは、かつてアメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)の理事だった時に、イラク戦争を巧妙にしくんだネオコンの一人として良く知られている。マケインの2000年大統領選挙戦で働いた後、アメリカのイラク侵略を擁護したイラク解放委員会(CLI)を率いたのは、シェーネマンだった。

最近のグルジアでの紛争炎上でも、同じような役割を演じていることについて、隠そうとしてもおのずとあらわれる示す徴候がある。親しい友人で、元の雇い主である、グルジア大統領ミヘイル・サアカシュヴィリの、南オセチアの分離脱退地域への侵略、つまり、ロシアの反撃をひき起こすことが明らかな侵略を命令するという愚行を、他にどうやって説明できよう? 彼が信頼する、シェーネマンのような影響力あるアメリカ人からの、アメリカ合州国が支援してくれる、といった何らかの保証なしに、サアカシュヴィリが、この危険なエスカレーションをひき起こしたなどとは想像できない。公式にマケインの大統領選挙戦の外交政策を担当する前でさえ、シェーネマンは、こうした諸問題で、長らくマケインを導いていた。

2005年、グルジアの有給ロビイストとして登録する一方、グルジアのNATO加盟を推進する議会決議案の草案作りのため、シェーネマンはマケインと働いていた。一年後、グルジアから給料を貰いながら、シェーネマンはマケインのグルジア出張に同行し、サアカシュヴィリと会見し、彼のロシアのウラジーミル・プーチンに対する好戦的な見方を支持したのだ。

対イラク戦争に至る道筋を再演する形で、共和党候補者の海外政策の姿勢を支配するようになったネオコン結社の中心に、シェーネマンは位置している。この連中は常に、新たな冷戦の種にする外国の敵を探しているのだが、サダム・フセイン体制の崩壊とともに、次第にプーチンのロシアが、その必要条件を満たすようになったわけだ。

そう、これは不愉快に聞こえるかも知れないが、戦争と平和という問題に関する、マケイン選挙戦の設計を評価する上で、最も正確な方法かも知れない。すべてが、この候補者が、ロシア指導者プーチンを悪魔化しているのは、前回のサダムを利用し、アメリカ軍国主義がどうしても必要としている恐ろしい敵によって、油をそそいだものよりも、ずっと壮大な計画であることを示唆している。

戦うべき新たな冷戦があれば、マケインは強そうにみえることになり、一方、民主党大統領候補バラク・オバマの、より慎重な海外政策で筋を通そうとせいている姿は、それと比較すれば、弱く見えよう。一方、マケインが相続した、ブッシュの遺産というイラクの大災厄から、経済破綻にいたるまでの恐ろしい結果は、好都合にも無視されよう。だがネオコンへの資金供給を助けた軍産複合体は、アメリカ以外の世界を全部足したよりも既に大きな軍事予算を、更に増やすための口実を与えられることになるだろう。

ここで機能しているのは、ネオコンの自己達成的予言であり、そこでは、ロシアはかつて大幅に削減した軍隊を増強する敵となり、プーチンは新たなヨシフ・スターリンの妖怪としての役を振り付けられ、古いソ連のイメージを喚起しているのだ。マケインは、再び封じ込めねばならない「失地回復主義者ロシア」と非難した。プーチンは、共産党後のロシアでは、選挙で選ばれた極めて人気の高い指導者だが、彼のDNAの中だけではなく、ロシア人の中には、常に帝国主義が潜んでいるのだと見なされている。

スターリンがグルジア人だったことを忘れるとは、なんとも都合のよいことであり、実際、もしもロシア軍が危機に瀕しているグルジアの都市ゴリを占領したなら、そこの博物館が今でも、ロシア革命を掌握して出世した、ご当地生まれの人物を讃えているのに気がつくことだろう。実際に、火曜日、5発のロシアの爆弾が、ゴリのスターリン広場に投下されたと伝えられている。

共産党後のグルジアは、南オセチアとアブハジアに対し、帝国主義的な狙いをもっていることも言及しておかねばなるまい。コソボのセルビアからの独立を擁護したアメリカ合州国が、今やグルジアが、民族的に反抗的な州地域を侵略するのを無視しているとは、なんとあからさまな矛盾だろう。

大統領選挙戦の間、タフであることをアピールするのを狙うべく、ロシアを悪者化するシェーネマンのネオコン路線を、マケインがこれほど熱心に受け入れるのは、上院議員というものは、年こそとっても、まったく無責任でいられる、ということを思い出させてくれるものなのかも知れない。

記事原文url:www.truthdig.com/report/item/20080812_georgia_war_a_neocon_election_ploy/

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関連翻訳記事:

シェーネマン、イラクとグルジア

いっそNATOを廃絶しては?

恐ロ病の政治解剖学:なぜ対ロシア冷戦なのか?

グルジア大統領サアカシュビリの背後にいる人形遣いたち

ワシントンとポーランドのミサイル条約、世界を大戦に一歩近づける

2008年8月13日 (水)

カフカス-ワシントン、誤算から核戦争の危険を冒す

F. William Engdahl

2008年8月11日

最近のグルジア共和国の軍隊による、南オセチアに対する劇的な軍事攻撃は、世界に冷戦時代の究極的な恐怖を、ロシアとアメリカ合州国との間の誤算による熱核戦争をもたらす方向への大きな一歩だった。カフカスで展開されていることが、アメリカのマスコミでは、驚くほど紛らわしい観点から、モスクワだけが侵略国であるかのごとく報じられている。問題は、ジョージ・W・ブッシュとディック・チェイニーが、ブッシュ・ドクトリン流のNATOの軍事目的を、次期アメリカ大統領に無理やり支持させたいあまりに、頼りないグルジア大統領ミヘイル・サアカシュヴィリの後押しをしていたかどうかなのだ。イラクでそうだったように、今回ワシントンが、ひどく誤算した可能性はあるが、今回の場合、核戦争となる可能性があったのだ。

基本的な問題は、7月11日の記事で私が強調したように、グルジア、ワシントンとモスクワの核地政学ポーカー・ゲームだ。実際、1991年のワルシャワ条約解消以来、ソビエト連邦の旧メンバーや旧共和国が、多くの場合、ワシントンによるいつわりの約束で買収されて、敵対する組織、NATOに加盟するよう、次々とまるめこまれてきた。

1991年のワルシャワ条約解消後、NATOの計画的な解消についての議論を始める代わりに、ワシントンは、NATOを、コソボから、ポーランド、トルコ、イラクそしてアフガニスタンに至る軍事基地とリンクした、アメリカの世界的帝国支配用の軍事的手段としか呼べないものへと計画的に変換させた。1999年、旧ワルシャワ条約の構成国、ハンガリー、ポーランドとチェコ共和国がNATOに加盟した。2004年3月、ブルガリア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、そしてスロバキアが後に続いた。今やワシントンは、NATOのEUメンバー、とりわけドイツとフランスに対し、グルジアとウクライナを受け入れる投票をするよう、強力な圧力をかけている。

紛争の起源

グルジアと南オセチアとアブハジアとの間の紛争の起源は以下のようなものだ。まず、南オセチアは、1990年まで、グルジア・ソビエト共和国の自治区を形成しており、ロシア・ソビエト共和国の、そして今のロシア連邦の一自治共和国、北オセチアの同じ少数派民族と、一緒に一つの国家に団結することを目指していた。歴史的に根拠がある、暴虐なグルジアの民族主義に対するオセチア人の恐怖と、当時のグルジアの指導者ズヴィアド・ガムサフルディアのもとでの、人種的少数派に対するグルジア人の憎悪という経験があり、オセチア人が、またもや、グルジアの大統領、ミヘイル・サアカシュヴィリの元で、それを感じているのだ。サアカシュヴィリは、アメリカの経済支援と、2003年12月のバラ革命と呼ばれているアメリカのひそかな体制転覆行動によって、権力の地位につけられた。今やそのバラのトゲによって、流血が起きている。

アブハジアと南オセチアは、まず第一に、伝統的な黒海のリゾート地域であり、第二に、北部にロシアとの国境地帯を持つ、貧窮に陥った人口が希薄な地域で、おのおの固有の言語、文化、歴史を持っている。ソ連が崩壊した際、両地域は、血みどろの紛争で、グルジアからの独立を目指した。1990-1年の南オセチア、1992-4年のアブハジアだ。

1990年12月、ガムサフルディアの元、グルジアは南オセチアが主権を宣言すると、そこに軍隊を派兵した。このグルジアの動きはロシア内務省軍によって打ち破られた。するとグルジアは、南オセチア自治区の廃止と、グルジア本国への併合を宣言した。ロシアとの交渉による停戦で、二つの戦いは終わり、最近作られた独立国家共同体の後援のもとで、平和維持軍が治安を維持している。状況は、キプロスをめぐるものと同様に「氷結した紛争」として固定化した。2005年後半には、グルジアは、武力を使わず、アブハジア人は、暴力を避けて出国した200,000人強のグルジア人の段階的な帰国を認めるという条約に署名した。しかしこの合意は、2006年早々、サアカシュヴィリがアブハジアのコドリ渓谷を奪回するために軍隊を派兵した時に決裂した。以来、サアカシュヴィリは、軍事行動の為の準備を増強していた。

重要なのは、南オセチアに対するロシアの支持だ。ロシアは、グルジアがNATOに加盟するのを好ましく思っていない。更に、オセチア人は、ロシアにとって、カフカスにおける最も古い同盟者であり、多くの戦争でロシア軍に兵士を供給してきた。ロシアは、彼らやアブハジア人を見捨てたいとは思っておらず、ロシアの北カフカスにおける彼らの同胞の間での人種的騒乱に、更に油を注いだ。彼らの大半が長らくロシアのパスポートを保有していた時である、2006年11月の住民投票で、99パーセントの南オセチア人がグルジアからの独立に投票した。これによって、ロシア大統領メドベージェフが、「ロシア国民がどこにいようと、その生命と尊厳を守るための」努力として、金曜日にロシア軍がグルジアに対する反撃を正当化するのを可能となった。」

帝政時代から、ロシアにとって、オセチアはトルコとイランの前線に近い重要な戦略基地だった。グルジアもまたカスピ海からトルコの港ジェイハンへと送り出されている石油にとって重要な通過国であり、テヘランを包囲しようというワシントンの作戦にとって潜在的な基地でもある。

グルジアから見れば、南オセチアとアブハジアは、単純に、いかなる犠牲を払っても回復すべき国土の一部なのだ。NATO指導者たちの約束により、グルジアは同盟関係に引き込まれ、ワシントンによる、これ見よがしの支持宣言によって、二つの地域、南オセチアとアブハジアに対する武力攻勢に着手するまでに、サーカシビリをつけあがらせた。サアカシュヴィリと、おそらくは、ワシントンのディック・チェイニー事務所が、非常に大きな誤算をしたように見える。ロシアは、南オセチアやアブハジアに対する支持を譲る意図は毛頭ないことを明らかにした。

代理戦争

今年の三月、国連安全保障理事会の意志に反し、更には、特にロシアの反対にもかかわらず、ワシントンは旧ユーゴスラビアのコソボ独立承認の先頭にたち、コソボを事実上NATOが支配する領土とし、プーチンは、これに対し、アブハジア、南オセチアと沿ドニエストル共和国、モルドバの親ロシア派分離独立共和国の承認にかかわる、ロシア国会における公聴会で答えた。モスクワは、コソボに対する西側の論理は、敵対的な国家の支配からの独立を目指すこれら少数民族社会にも適用されるべきだと主張した。4月中旬、プーチンは、これら分離独立した共和国を承認する可能性を提案した。それは戦略的なカフカスにおける、将来のロシアそのものをかけた大博打、地政学的チェス・ゲームだった。

サアカシュヴィリは、当時の大統領プーチンに、その決定を覆すよう呼びかけた。彼はプーチンに、西側はグルジアの味方になったと指摘した。4月、ルーマニア、ブカレストでのNATOサミットで、アメリカのブッシュ大統領は、グルジアを、NATO構成員の前触れである、NATOの「メンバーシップ・アクションプラン」に受け入れることを提案した。ワシントンが驚いたことに、ドイツ、フランスとイタリアを含む、NATO加盟国10ヶ国が、彼の計画を支持することを拒否したのだ。

彼らは、アブハジアと南オセチアの争いゆえに、グルジアを受け入れるのは問題だと主張した。彼らは、実際には、グルジアを支援するの気が進まないと言ったのだ。NATO条約の第5条の元では、いかなるNATO加盟国に対する武力攻撃も、全加盟国に対する攻撃と見なさなければならないと命じており、結果的に全NATO加盟諸国の集団的武力を、ヨーロッパが、お天気屋の独裁者サアカシュヴィリが率いるカフカスの小国グルジア共和国をめぐって使用することが必要となり、ロシアとの戦争に直面する可能性が持つことの意味するためだ。つまり、不安定なカフカスが、第三次世界大戦をひき起こす、即発的な引き金となることを意味するわけだ。

ロシアはグルジアを脅迫しているが、グルジアも、アブハジアと南オセチアを脅迫しているのだ。グルジアにとって、ロシアはワニのように見えるだろうが、グルジアはロシアにとって、西側の手先のように見えるのだ。サーカシビリが2003年後半に権力を握って以来、ペンタゴンは、グルジアに駐留して、軍事援助と訓練を行ってきた。現在グルジアで活動しているのはアメリカ軍の要員だけではない。イスラエル諜報筋のオンライン・マガジン、DEBKAファイルによると、2007年、グルジア大統領サアカシュヴィリは「イスラエルの民間警備会社の数百人から最大1,000人と推測される軍事顧問に、グルジア軍に、特別奇襲部隊、空、海、機甲および砲撃作戦の訓練をするよう委託した。軍事顧問たちは、軍事諜報や、中央政権のための治安維持についての教育もしている。トビリシは、兵器、諜報、電子戦システムも、イスラエルから購入している。これら顧問達が、金曜日の南オセチアの首都征服に対するグルジア軍の準備に深く関与していたことは、疑う余地はない。」

Debkaファイルは、更に「モスクワは、エルサレムにグルジアに対する軍事援助を止めるよう再三要求しており、最終的には、二国間関係の危機まで持ち出して脅したと報じている。イスラエルは、トビリシに提供している支援は「防衛的」なものだと言って対応した。イスラエルの情報源は、グルジアにおけるイスラエルの利害は、カスピ海石油パイプラインの地政学とも関係があると付け加えている。「エルサレムは、ロシアのパイプライン・ネットワークではない方法で、カスピ海の石油とガス・パイプラインを、トルコの積み出し港ジェイハンにまでつなげることに強い関心を持っている。イスラエル、トルコ、グルジア、トルクメニスタンとアゼルバイジャンの間で、トルコに、更にそこから、イスラエルの石油基地アシュケロンや、紅海の港エイラトに至るパイプラインに関して、集中的な協議が進行中だという。そこから、スーパタンカーが、ガスと石油をインド洋経由で、極東へと運搬できるのだ。」

これはつまり、南オセチアに対する攻撃は、英-米-イスラエルが率いる勢力と、ロシアとの間の新しい代理戦争における、最初の戦闘なのだ。唯一の疑問は、08年8月8日のグルジアの攻撃に対する、ロシアの反撃の素早さと激しさについて、ワシントンが計算違いをしていたか否かである。

これまでのところ、カフカスにおけるドラマは、衝突のステップごとに、危機の度合いを高めてきている。次のステップは、もはや単にカフカス、あるいはヨーロッパの問題ではすむまい。1914年では「八月の砲声」が、第一次大戦をひき起こした。今回、2008年の八月の砲声は、第三次世界大戦、核のホロコーストという言いようもない恐怖の起爆装置となる可能性があったのだ。

核の優位: より大規模な戦略的な危険

ユーラシアの人里離れた奥地のこの二つの小さな地方をめぐる紛争がどれほど危険なものなのかを、西側の大半の人々は知らずにいる。ほとんど全てのマスコミ報道で触れられていないのは、カフカス紛争の戦略的安全保障という文脈だ。

私の新刊書(ドイツ語)でも、そしてここでも、NATOと、最も直接的には、ワシントンによる開発努力について説明している。軍事戦略家が「核の優位」と呼ぶものを、冷戦終結以来、計画的に追求してきたということだ。わかりやすく言えば、敵対する二つの核大国の一国が、たとえ原始的なものであれ、実戦配備できる対ミサイル防衛を、最初に開発することができれば、敵側の核貯蔵庫からの反撃可能性を劇的に弱めることができ、ミサイル防衛を持っている側が、核戦争に「勝った」ことになる。

これは極めて狂っているように聞こえるだろうが、1990年の父親ブッシュ、クリントン、そして最も攻撃的なジョージ・W・ブッシュに至るまで、過去三代の大統領を通じ、明確なペンタゴンの政策であった。これに、ロシアが、砂の中に、線を深く引いたのだが、それももっともなことだ。グルジアやウクライナを、無理やりにNATOに押し込もうというアメリカの努力は、NATOが文字通り戸口にやってくるという不安をロシアにもたらす、この上なく攻撃的な軍事的な脅威であり、ロシアの国家安全保障にとって受け入れがたいのだ。

これこそが、ルクセンブルグ規模の狭い二地域をめぐる、一見目立たない戦争が、1914のサラエボのような、誤算による新たな核戦争の起爆装置となる可能性を持っている理由だ。そのような戦争の引き金は、南オセチアやアブハジアを併合するというグルジアの要求ではない。むしろ、NATOとそのミサイル防衛を、ロシアの戸口の鼻先まで押しつけようとするアメリカの無理強いこそが、引き金なのだ。

この記事原文のurl:www.engdahl.oilgeopolitics.net/Geopolitics___Eurasia/Caucasus_War/caucasus_war.html

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2008年6月22日 (日)

チェコの反対派、アメリカのミサイル・レーダーに対する国民投票を要求

ワルシャワ、6月19日(RIAノーヴォスチ) - チェコの反対派は、チェコ共和国内へのアメリカの早期警戒レーダー配備について、国民投票を行う提案を支持する100,000人以上の署名を集めたと、反対派の広報担当者が木曜日に語った。

5月21日に公式にチェコ政府によって承認されたプラハとワシントン間の合意は、2008年末までに批准される予定。

文書は、アメリカ国務長官コンドリーザ・ライスが文書に署名するためプラハ訪問する予定の7月上旬までにはまとまる予定の、アメリカ軍要員駐留に関する条項を定める第二の協定とともに、批准のため、国会に提出される。

広報担当者イヴォナ・ノヴォメスツカーは、反対派は7月9-10日のライス訪問時に、プラハ中心部での抗議デモを準備中だとも語った。

4月の世論調査によると、チェコ国民のおよそ2/3がレーダー計画に反対している。

チェコ国会では、本件についての公開討論を要求している、主要反対勢力の社会民主党による配備計画への相当な反対もある。

ロシアは、提案されている「中欧の楯」をロシアの国家安全保障に対する潜在的な脅威とみており、ヨーロッパにおける兵力の戦略的均衡を破壊すると考えている。

記事原文のurl:http://en.rian.ru/world/20080619/111366472.html

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2008年3月 2日 (日)

国連、コソボにおけるマフィア国家樹立に貢献

ミシェル・チョスドフスキー

Global Research、2008年3月1日、旧ユーゴスラビアにおけるアメリカ/NATO戦争犯罪に対する国際法廷 - 2000-06-10

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EU、国連、NATOとコソボ国連ミッションは、コソボ国家組織の犯罪化に対し責任がある。

2000年3月に書かれた以下の記事は、KLA元メンバーによって統合されたコソボのマフィア国家形成に焦点を当てている。

2008年2月の独立宣言により、このプロセスは完了した。コソボは独立したマフィア国家ではなく、 NATO軍事支配下のアメリカ/EU保護領である。組織犯罪と太いつながりをもったコソボ政府は、アメリカ-NATO占領者の利益にかなうのだ。

ミシェル・チョスドフスキー、2008年3月1日


2000年6月10日、 旧ユーゴスラビアにおけるアメリカ/NATO戦争犯罪に対する国際法廷

国連、コソボで、戦犯と疑われている人物を任命

文:ミシェル・チョスドフスキー教授

バルカン半島に関する多数の国際フォーラムに参加してきた歴史家、経済学者のミシェル・チョスドフスキー教授(カナダ)、いわゆるコソボ解放軍の犯罪的な役割と、アメリカとドイツの諜報機関とのつながり、NATOと国連代表ベルナール・クシュネルとのつながりを明らかにしている。ミシェル・チョスドフスキーは、オタワ大学経済学教授で、「War、Globalization and the New World Order」(戦争、グローバライゼーションと世界新秩序)という近刊本の著者である。

コフィ・アナン事務総長に提出された国連の最近の[2000]報告書は、(1999年9月国連の支援のもとで発足した)コソボ防護隊(KPC)が「犯罪活動つまり、殺人、虐待/拷問、違法警察行為、権力乱用、脅迫、政治的中立性違反と憎悪発言に関与していたこと」を認めた。1.

残酷な皮肉は、国連が多くのギャングどもに給料を支払っていることだ。」2 組織犯罪とバルカンにおける麻薬の違法取引に関係していたことで知られているコソボ解放軍(KLA)は、公式に解体され、アメリカの国家警備隊を模範とするコソボ防護隊(KPC)に変身させられた。アメリカの軍事援助資金を得て、KPCは、バージニア州アレクサンドリアに本社を置く傭兵企業ミリタリー・プロフェッショナル・リソーシズ・インク(MPRI)によって訓練された。

KPCは、国連コソボ暫定行政ミッションの高等弁務官ベルナール・クシュネル[現在フランスの外務大臣] の言葉によれば「人道主義的支援を提供し... インフラストラクチャーと共同体の再建に貢献する....」べしという命令のもと「民間の、規律ある、制服を着た、多民族的な、緊急時に対応する...ものとなるよう国連によって計画されている 3

軍事的レッテルの貼り替えだ。KLA司令官アジム・チェクは、コソボに新設された軍隊の参謀総長に任命された。発足式におけるベルナール・クシュネルの言葉はこうだ。「彼[アジム・チェク]が、すきを畑に立てたまま、戦争動員への呼びかけに応じ、戦争が終わるとあらゆる栄誉を断り、民間人の職務へと戻った、古代ローマの模範的な市民兵士キンキナトゥスの先例に習って、隊の新メンバーを率いてくれることを期待しています。4

わずか数週間後、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)は、「1993年と1995年の間に、セルビア人とクロアチア人に対して犯されたとされる戦争犯罪に関して、チェクを調査中である」と発表した。5 しかしながら、この情報は、チェクの任命よりずっと以前から、軍および諜報組織のアナリストには知られていた。ルイーズ・アルブール国連人権高等弁務官の統治中に、ICTYによって公開が控えられるようになった。ジェーン・ディフェンス・ウイークリー(1999年5月10日)は、チェクが「 [1993年]と1995年の成功したメダクのHV [クロアチア]攻勢を陰で操っており、成功したオペレーション「ストーム」を計画した連中の一人であったことを確認している。国連特別代表のベルナール・クシュネル医師(国境なき医師団の共同創設者としての役割で1999年ノーベル平和賞受賞者)も、それは知っていたに違いない。

国連とNATOはICTYのファイルを自由に読めたはずだ。旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷の主任検事はそれを知っており、ICTYの法のもとで、その事実を国連事務総長に報告する責任があったのだ。残酷な皮肉だが、国連は(ICTY)ファイルによれば、戦犯とされる人物を国連機関の職務への任命をさりげなく進めていた。多少の疑問は提示されるべきだった。

チェクが任命されてわずか数週間後にこの情報が明らかになった際、「ベルナール・クシュネル国連特別代表に近いある外交官は[こう発言した] 「万一彼[アジム・チェク]を失うようなことかあれば、大損失だ」... 「TMK[コソボ防護隊]の第二レベルを見れば、地元の悪党だらけだ。」... 6 「アメリカの外交官たちは... 万一チェクを起訴するような可能性があれば「封印」して、情報が共有されないようにすべきだ... 「NATOが率いる平和維持軍は、チェク逮捕によってアルバニア人に対する広報活動を失敗させることなど考える余裕はない」7 サンデー・タイムズ(ロンドン)によると、「コソボで尊敬されている人物であるチェクが、戦争犯罪人として告訴されかねないという可能性は、国際社会中を戦慄させた ... "8.

一方、ICTYは世論に対し、「法廷の調査... 1993年と1995年の間にクライナで犯された残虐行為に関する、... 」... コソボにおけるチェクの経歴そのものは問題とは見なされていないと気休めを言った。新たな主任検事カルラ・デル・ポンテは、KLAにおける彼の活動の捜査まで排除することはないと言ってはいるが...」9

戦犯達による支配

コソボ爆撃の後、姿を整えて出現したのは、明白に、バルカン半島におけるNATO作戦と、戦争犯罪人に依存した「平和維持」活動の継続だった。以前クロアチアとボスニアに派遣されていた軍関係者と国連官僚達は、いつも決まってコソボに転属させられた。

マイク・ジャクソン中将は、ボスニア・ヘルツェゴビナとクロアチアでの勤務の後、KFOR司令官としてコソボに派遣された。1995年のクライナ民族的虐殺(これに対してアジム・チェクが、ICTYによる捜査対象となっている)の直後、マイケル・ジャクソン将軍は、「1995年のクライナ攻勢で、クロアチアのHVO軍に奪われた土地に」セルビア人の帰還を組織すべく、IFOR司令官に任命された。10

その資格で、ジャクソンは「[クロアチア人との]摩擦を避けるためにも、[クライナ・セルビア人の] 再定住は急ぐべきではない」と呼びかける一方で、帰郷するセルビア人に対しては「地雷の脅威の激しさ」を警告した。」11. 今にして思えば、1996年始めの出来事の当時、国連の保護の元で、故郷への帰還を許されたクライナ・セルビア人はほとんどいなかった。(ベオグラードに本部を置く、クロアチアからのセルビア人難民の組織)「ベリタス」によると、10,000-15,000人ほどのセルビア人がクロアチアに再定住できたという。ジャクソンの「民族紛争」経験は、しかしながら、バルカンより昔にさかのぼる。若い中佐として北アイルランドに派遣されていた頃、ジャクソンは1972年のデリー市における民間人虐殺事件「血の日曜日」の副官だった。

デレク・ウィルフォード大佐の命令のもと、ジャクソン中佐と他の英国パラシュート部隊兵士13人が、カトリック教徒差別に反対する北アイルランドの人権団体による穏やかな抗議に発砲した。わずか30分で、13人が射殺され、更に13人が負傷した。亡くなった人々は皆、頭部か身体への一発の銃弾で殺害されており、彼らが意図的に狙われていたことを示している。亡くなった人々の誰からも武器は発見されていない。」12 「血の日曜日」におけるジャクソンの役割は、軍での出世を妨げることはなかった」 13 北アイルランドでの一仕事の後、彼は国連の後援の元で、まずはボスニアとクロアチア、更にはコソボという民族紛争の戦域へと転属させられた...

コソボでは、軍当局幹部達の行動はクロアチアとボスニアでのパターンと一致しており、同じ主要人物たちがコソボにおける「平和維持」業務に転属させられた。ジャクソン将軍は、セルビア人とロマ人民間人保護では印ばかりの努力を見せたものの、コソボから逃れた人々に対しては、彼の統治期間中は、国連の保護のもとで帰国するよう奨励することはなかった... 戦後のコソボでは、民間人虐殺が、NATOと国連の支援のもとで、KLAによって(更にはKPCによって)遂行された。これは「国際社会」によって「既成事実」として受け入れられた。

マフィア国家の樹立

「透明性」と「良い統治」に基づいたデモクラシーの樹立を呼びかける一方で、アメリカと同盟諸国は、コソボに、組織犯罪と繋がった自称文民準軍隊政府を樹立した。結果は、コソボ国家組織のあからさまな「犯罪化」と、せいぜいのところ「マフィア国家」とでも呼ぶべきものの樹立だ。NATOと同盟諸国政府の共謀(つまり連中のKLA臨時政府に対する執拗な支援)は、KFORとコソボにおける国連平和維持装置の事実上の「犯罪化」を示している。

この点で、KPCに対する資金援助を行う援助資金提供機関、国連と西欧政府は、この国家組織の犯罪化に対する「従犯者」だ。(ワシントンとボンによって作り出され、資金援助されている)準軍事的組織の仲介を通して、NATOと国連は、コソボにおける民間人虐殺と、あまねく行き渡る恐怖政治の責任という重荷を負うのだ。


1. John Sweeney and Jen Holsoe、Kosovo Disaster Response Service Stands Accused of Murder and Torture, the Observer, 2000年3月12日に引用されている。
2. 同上.
3. 1999年9月21日KPC発足式典におけるベルナール・クシュネル発言、http://www.un.org/peace/kosovo/pages/kosovo5.htm を参照。)
4. 同上
5. AFP、1999年10月13日
6. Tom Walker、"Kosovo Defence Chief Accused of War Crimes, Sunday Times, 1999年10月10日。
7. 同上
8. 同上
9. 同上
10. Jane Defense Weekly, Vol 23, No. 7, 1996年2月14日。
11. 同上
12. Julie Hyland, "Head of NATO Force in Kosovo was Second-in-command at "Bloody Sunday" Massacre in Ireland"、World Socialist Website、1999年6月19日。
13. 同上.

ミシェル・チョスドフスキーによるGlobal Research記事


 

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2008年2月28日 (木)

ワシントン、バルカン半島に新植民地を獲得

サラ・フラウンダース

Global Research、2008年2月28日、

International Action Center - 2008-02-21

セルビアの一つの州であるコソボの最近の「独立宣言」と、アメリカ、ドイツ、イギリスとフランスによる即座の国家承認を評価するにあたっては、下記の三点を理解することが重要だ。

第一に、コソボは、独立や、あるいは最少の自治すらも得るわけではないことだ。ボスニアは、指名された上級代表と、アメリカ、欧州連合とNATOが任命した機関によって運営されるのだ。旧来の植民地総督や帝国主義統治者たちが、海外、国内政策を支配する。アメリカ帝国主義が、バルカンの中心に、完全に独自な植民地の直接支配を確立したに過ぎない。

第二に、ワシントンによるコソボ即時承認は、またもや、アメリカ帝国主義は、アメリカ自身が草稿を書き、暴力と武力で相手に強制した条約を含め、自分がこれまで署名した、いかなる、あらゆる条約、国際的合意を破るものであることの確認となった。

コソボ承認は、特に、1999年のNATOによる自国に対する78日間の爆撃を終わらせるため、ユーゴスラビアの指導部が署名を強制された国連安全保障理事会決議1244のような、そうした法律に直接違反している。この押しつけられた合意ですら、ユーゴスラビアの共和国の一つ、セルビアについて「全ての加盟諸国による、主権と領土の保全にたいするコミットメント」を確約していた。

今週の違法なコソボ承認を、セルビア、ロシア、中国およびスペインが非難している。

第三に、アメリカ帝国主義者支配は、占領された人々の為にはならない。9年間、直接NATOに軍事占領されたコソボの失業率は、60パーセントという驚くべきものだ。コソボはヨーロッパの国際麻薬取引と売春のセンターとなった。

この狭い資源の豊富な工業地帯で、かつて活発だった鉱山、工場、製錬所、精錬センターや鉄道の全てが、じっと黙ったままでいる。NATO占領下にあったコソボの資源は、強制的に私有化され、西欧の巨大多国籍企業に売り払われた。今やほとんど唯一の就職口といえば、アメリカ/NATO占領軍か国連諸機関だけだ。

コソボ唯一の巨大建設は、ヨーロッパにこれまでに建設されるものの中で最大のアメリカ軍基地、キャンプ・ボンドスチールだ。ハリバートンが、もちろん契約をかち取った。キャンプ・ボンドスチールは、この地域全域の戦略的石油パイプラインと、運輸幹線を防衛する。

アメリカ/NATO支配のもとに入って以来、250,000人以上のセルビア人、ルーマニア人や他民族の人々が、このセルビアの州から追い出された。アルバニア人のうち、およそ四分の一は仕事の口を探すために退去を余儀なくされた。

植民地政権の樹立

コソボの「独立」を実現させた計画を検討してみよう。それは、国連決議に違反しているばかりでなく、それは完全な植民地体制でもあるのだ。アメリカのイラク占領で最初の二年間、 L. ポール・ブレマーが握っていた絶対権力と同様のものだ。

この植民計画は一体どこから来たのだろうか? それはユーゴスラビア分割とNATO爆撃とコソボ占領に関与したのと同じ勢力が提案したものだ。

2005年六月、コフィ・アナン国連事務総長は、コソボの最終的状況に対する交渉を率いる特使として、元フィンランド大統領マルティ・アハティサーリを任命した。アハティサーリは、アメリカのコソボ介入という点で、とうてい中立的な調停者とは言えない。彼は、アメリカとE.U.投資の為の自由市場と、NATOの拡張と介入を推進する超億万長者ジョージ・ソロスが資金供給する組織インターナショナル・クライシス・グループ(ICG)の名誉会長なのだ。

ICGの役員には、コソボ爆撃に関与した二人の主要なアメリカ人幹部がいる。ウェスリー・クラーク将軍とズビグニュー・ブレジンスキーだ。2007年三月、アハティサーリは、コソボ状態調停の為の包括的提案を新国連事務総長の潘基文に提出した。

コソボ新政府を計画した文書は、unosek.org/unosek/en/statusproposal.HTMLで入手できる。要約は、アメリカ国務省のウエブ・サイトstate.gov/p/eur/rls/fs/100058.htmで入手できる。

アメリカとE.U.高官によって指名された国際文民代表(ICR)がコソボを監督する。ここで指名された高官達は、あらゆる施策をも却下し、いかなる法律をも無効にし、コソボの議会から誰でも排除することができる。ICRが税関、課税、財務および金融部門の完全かつ最終的な支配権を掌握する。

E.U.は欧州安全保障防衛政策ミッション(ESDP)を設立し、NATOは国際軍事プレゼンスを設立する。この指名された二つの組織が、海外政策、国防、警察、司法、全ての裁判所と刑務所を支配する。両者はコソボにおける、あらゆる活動、手続き、あるいは文書に対する、即座かつ完全な利用の権利が保証されている。

この両者とICRが、どの犯罪を、誰に対して起訴するかについての最終決定権を持っている。彼らはいかなる決定をも逆転したり、取り消したりすることができる。コソボ最大の刑務所はアメリカ軍基地、キャンプ・ボンドスチールにあり、囚人たちは、告訴もされずに、裁判手続きも、代理人も無しで、そこで拘留される。

コソボ「独立」承認は、アメリカが何十年にもわたって執拗に追求してきたアメリカ再征服戦争最後の段階に過ぎない。

分割して統治せよ

バルカン半島は、数多くの抑圧された民族、文化や宗教の活気に満ちた寄せ集めだ。第二次世界大戦後に形成されたユーゴスラビア社会主義連邦共和国には、六つの共和国があり、そのいずれもが多数派を占めていたわけではなかった。ユーゴスラビアは、オットーマン・トルコ、オーストリア・ハンガリー帝国、イギリスとフランスの帝国主義による干渉、さらには第二次世界大戦のナチス・ドイツとイタリアのファシストによる占領によって、ひっきりなしに利用され続けてきた抗争の伝統のもとに生まれた。

第二次世界大戦では、ユダヤ人とセルビア人が最も被害を被った。共産主義者が率いる強力なレジスタンス運動は、様々な形で苦難を味わった全ての国籍の人々から成り立っており、ナチス占領やあらゆる外部からの介入に対抗すべくる作り上げられていた。解放後、新たな社会主義連邦を作り上げるために、全ての国籍の人々が協力し、妥協した。

45年間で、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は、貧窮化した、未開発の、抗争する地域を、産業基盤があり、全員が読み書き能力を持ち、全国民への健康保険を備えた安定した国家にした。

1990年代始めのソ連崩壊と共に、ペンタゴンは即座に、東欧への積極的なNATO拡大計画を立てた。この地域全域において、「分割して統治する」ことがアメリカの政策となった。いたるところで右翼の親資本主義勢力に資金供与し、奨励した。ソ連が崩壊し、分割され、弱体化した、不安定で反目する共和国が生まれる中、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国はこの反動的な流れに抵抗しようとしていた。

1991年、世界の関心がアメリカの破壊的なイラク爆撃に集中する中、ワシントンは、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国内部のクロアチア、スロベニアとボスニア共和国の右翼の独立運動を励まし、資金援助し、武装させた。国際協定に違反し、ドイツとアメリカは、こうした分離主義運動を即座に承認し、いくつかの資本主義ミニ国家の創生を認めた。

同時にアメリカの金融資本は、経済を破綻させるため、ユーゴスラビアに厳しい経済制裁を課していた。さらにワシントンはNATOを、この地域で安定をもたらせる唯一の武装勢力としてもて推進した。

セルビアの一州であるコソボにおける右翼的なUCK運動に対する武装と資金供与は、これとまさに同じ時期に始まった。コソボは、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国中の明確な共和国ではなく、セルビア共和国の一州だった。歴史的に、セルビアの国家的アイデンティティーの中心ではあったが、アルバニア人の人口が増えていた。

ワシントンは、セルビアがコソボのアルバニア系多数派に対する大虐殺作戦を遂行していると主張する激しいプロパガンダ・キャンペーンを開始した。西欧のマスコミは集団墓地や残虐な強姦の話じあふれ返った。アメリカ当局は 100,000人から500,000人のアルバニア人が虐殺されたと主張した。

アメリカ/NATO幹部たちはクリントン政権のもとで、セルビアは即座に軍事占領を受け入れ、あらゆる主権を放棄しろ、さもなくば、都会や、村やインフラストラクチャーに対するNATOによる爆撃を受けるぞという非道な最後通告を発した。フランス、ランブイエでの交渉会議で、セルビア議会がNATOの要求を拒否する投票をすると、爆撃が始まった。

78日間でペンタゴンは、地中貫通型(バンカーバスター)爆弾や巡行ミサイルだけでなく35,000発のクラスター爆弾を投下し、放射性の劣化ウラン弾を何千発と撃ち込んだ。爆撃で、工業工場、化学工場、暖房工場、配電網に加え、480以上の学校、33以上の病院、無数の診療所、60以上の橋梁を破壊した。ワシントンが「解放する」ことを決定していたと思われる地域、つまりコソボが、最もひどく破壊された。

最終的に、1999年六月3日、ユーゴスラビアは停戦とコソボ占領への同意を強いられた。

至る所に遺体があるものと期待して、ハーグ国際戦犯法廷が組織した、NATO加盟諸国のうちの17カ国からなる法医学チームが、占領したコソボを1999年の夏中捜索したが、あらゆる国籍の2,108人の遺体を発見できただけだった。これらの人々の中には、NATO爆撃による被害者があり、またUCKとセルビア警察と軍間の戦争による死者もあった。彼らは集団墓地の一つたりとも発見できず、虐殺、あるいは「ジェノサイド」の証拠も全く提示できなかった。」

帝国主義者のプロパガンダに対するこの驚くべき反証は、主任検察官カルラ・デル・ポンテが元ユーゴスラビアの国際戦犯法廷のために発表した報告によるものだ。しかし、1999年11月11日、ニューヨーク・タイムズに大して華々しくもなく報道された。

ジェノサイドや集団墓地の話という激しいプロパガンダは、イラクが「大量破壊兵器」を所有し、利用しようとしていたという、それより後で使われた主張と同じ真っ赤な嘘だ。

戦争、暗殺、クーデターと経済的な絞め殺しによって、ワシントンは、今や六つの旧ユーゴスラビア共和国全てにネオリベラル経済政策を押しつけ、共和国を不安定で貧困化したミニ国家に分割することに成功した。

長い目で見れば、帝国主義がこの地域にもたらした不安定さとすさまじい貧困そのものが、この国の破滅の原因となるだろう。ユーゴスラビアが団結と社会主義的開発によって、本当の独立を享受し、主権を持っていた時に実現した歴史的達成が、将来、再び現れよう。

サラ・フラウンダーズはInternational Action Centerの共同代表で、1999年アメリカ爆撃の最中ユーゴスラビアを訪れ、民間標的に対するアメリカ爆撃の激しさを報告した。彼女は「Hidden Agenda-U.S./NATO Takeover of Yugoslavia" and "NATO in the Balkans」の共著者、編者。

サラ・フラウンダースによるGlobal Research記事


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本記事の英語原文www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=8185

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